
稲や植物は生存戦略として「姿勢を低くする」ことを選んだ。地面に触れそうで届かないところに生長点を置いたおかげで、草食動物が葉をいくら食べても生長点が傷つかず、種を維持することができる。
信仰の荒れ野の道を完走するための必須条件は、自らを低くすることだ。時には逆境に直面しても、自分の経験と考えを前面に出すより、神様を頼りに自らを低くして御言葉に完全に従う時、約束の地霊的カナンに到達することができる。
低くしてこそ成長し、低くしてこそ勝ち抜くことができる。低くしてこそ自らを守り、低くしてこそ最後まで耐えられる。
あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。 申8:2-3