
病院に入院した母が、畑に植えてある野菜のことがとても心配だとしきりに言うので、弟と一緒に何とかするからと大口をたたいて、実家に帰った。朝から晩まで畑仕事をしたら、手も足も疲れて重くなり、肩や腰など全身痛くないところがなかった。何度も寝返りを打っていると、厚いノートが一冊、目に入った。
「あら、なんとこれは…」
少ない野菜を売った後、夕方になるとうつぶせになって家計簿を書いていた母が、毎日丁寧に書いた日記帳だった。ノートにはこの二年間、厳しい田舎暮らしを切り盛りした母親の辛く大変な日々がそのまま綴られていた。体の中に癌という輩が巣食っていることも知らないまま、一日一日を薬に依存してきた母は「神様、ありがとうございます」で一日を始めたかと思っても「神様、とても辛くて大変です」で最後をしめくくったりもした。それ以外はみんな子供たちのことばかりだった。
「通勤途中に毎日、電話をしてくれる末息子が心強い。末っ子を産んでいなかったらどうなっていただろうか」
「神様、息子が海外出張に行きます。無事で元気に帰って来られるように守ってください」
「三番目の息子が父さんが好きなアナゴを買ってきた。職場の仕事だけでも疲れているだろうに、畑仕事まで手伝ってから帰った。とても疲れていないか心配だ」
「二番目の婿が職場で作業服をもらったと言って、父さんに着るようにと送ってきた。もちろん着るよ」
「末っ子の婿がカルビと牛骨を送ってきた。そっちの暮らしもきついはずなのに、私たちのことまで気を使ってくれてありがたい」
「何かあったのか?○○がここ数日、電話もない」
母の日記には私が月に何度も母に安否を尋ねる電話をかけ、その時どんな会話をしたのかが記録されていた。そのようにして母は5人の子供の日常を欠かさず覚えていた。自分の健康より子供たちのことがもっと心配であり、自分の喜びより子供たちの幸せが優先だったので、私たちの小さな真心にも力を得て一日一日を耐えてきたのだ。今は母の懐を離れ、それぞれの人生を生きている子供たちだが、母は依然として子供と一緒だった。
私には天での私に対する記憶を持っておられるもう一人の母がいらっしゃる。御自分の人生の唯一の理由は子供だと言われ、今日も子供の一日で御自分の記憶を満たしていかれる天の母。子供の小さな息づかいにも耳を傾けられる天の母の愛を誰が止めることができるだろうか。母の記憶が子供たちへの心配ではなく、喜びと幸せで満たされることを切に願う。