教える使命を下さった理由

南アフリカ共和国 ケープタウン / イ・チョンヒョン

4,186 回視聴

妻と一緒に御言葉を伝えに出た日のことでした。道で出会った婦人に、聖書が証ししている母なる神様についてお伝えしたいというと、あまり気が乗らない顔をされました。本当に重要な内容だと言いながら、もう一度頼んだら、やっと足を止めてくれました。

聖書を開いた瞬間、その婦人の目の色が変わりました。ヨハネの黙示録で命の水を下さる“霊”と花嫁を見て、私たちが説明する前に「命の水を下さる花嫁は誰ですか?」と聞きました。花嫁が天のエルサレムだと答えるや否や、「では、天のエルサレムは誰ですか?」と、私がすべき質問を先にしたりしました。次から次へと続くやりとりの中で、その方はずっと私より先に質問し、たまには答えも、私が言う前に言い当てました。その婦人は御言葉を聞いて驚き、私たちはその方の反応に驚きましたが、後になって、それが何故だか分かりました。

その婦人は何年か前に、真理の御言葉を聞いたことがあったのですが、その当時は胸に響くものがなくて、そのまま通り過ぎたのだそうです。かなりの時間が経ってから、再び御言葉を聞く機会がありましたが、やはりその時も相変わらずだったそうです。今日、その婦人は自分に向かって歩いてくる東洋人の夫婦を見て、「あ、また会ったか」と思ったのだそうです。それで断ろうとしましたが、私たちの眼差しがあまりにも切実だったので、どうしてもそうできなかったと言います。それになぜか今回は、完璧に理解でき、『天の母』という単語がずっと頭の中を駆け巡っていると不思議がっていました。結局、御言葉をもっと勉強してみたいということで、翌日から毎日のように聖書の勉強が続きました。

今まで福音を伝えながら出会った方の中で、この方ほど神様を愛していて、神様の御言葉を慕っている方はいませんでした。この婦人は、魂の問題を勉強したら、自分が天使だったという事実に喜び、また天で神様に敵対する罪を犯したということを聞くと、涙を流したりもしました。あるときは、再臨イエス様がシオンに来られて、御自分の民に救いを受けられる信仰を立ててくださるという御言葉を勉強したのですが、それを聞いていた婦人は、とても悲しそうに泣き出しました。ある程度落ち着いてから、どうして泣かれたのか聞いてみました。

「私は今まで、自分が神様の御心によく従っていると、神様の近くにいると信じていました。救いを確信していたんです。ところが、自分勝手に神様を信じていて、神様から遠く離れていたことに気づきました。私は救いを受けられる信仰を持っていなかったんです。それが神様にとても申し訳ないです。」

その後、新しい命の祝福を受けた婦人は、浸礼式が終わると、タオルに顔をうずめて、しばらくの間じっと動かれませんでした。今度は感謝の涙が姉妹の顔を濡らしていました。

実は、姉妹は私たちに出会った初日から真理を妨害する内容を聞かされたと言います。しかし、心が揺れるどころか、むしろしっかり確かめなければと思ったと言うのですから、やはり神様の子供に間違いありません。

姉妹に出会ってから、なぜ神様が教える使命を下さったのか悟ることができました。私は、人生の中で、他の何ものとも比べものにならない祝福を受けていながらも、その価値を忘れて生きてきた時が多かったように思います。貴い宝物を持っていながらも、その貴さが分からない愚かな子供を悟らせてくださろうと、神様が真理の価値を大切にする方に出会わせてくださったのではないかと思います。私がどれほど祝福を受けた者なのか、もう一度心に刻み、いつも喜び、どんなことにも感謝する人生を生きていこうと思います。