私が望んだ信仰生活

韓国 水原 / ヨン・ジェグ

4,083 回視聴

二十歳の頃、プロテスタント教会で信仰生活を始めました。最初は「神様を信じる人が多くなれば、この世の中が天国のようになるのではないか」と思っていました。しかし、実際はそうではありませんでした。世の中で光と塩の役割をするどころか、むしろ社会で問題視される教会の姿を見て失望しました。それでも神様は存在しておられるので、「神様の御言葉どおりに行う真の教会がどこかにきっとある」と信じました。期待を抱いていろいろな教会に行って説教を聞いてみたり、有名な牧師たちに会って話を交わしたりもしてみました。 しかし、神様を崇めるよりも自慢話ばかりする牧師たちの説教と姿から「ここは真理の教会ではないな」と落胆し、ため息をつく日々を繰り返していました。

長い間放浪し、ようやく知った神様の教会は大きく違いました。食事の時間など順番を待つ時、牧師が聖徒たちと一緒に列に並んでいるのを見て「牧師まで並ばれるんですか?」と尋ねたところ「私も罪人ですから」と笑っていました。牧会者が自らを低め、謙遜に聖徒たちに仕える姿が印象的で、こここそ本当に神様がいらっしゃる所だなという気がしました。子供を救うために御自分の命まで捨てて犠牲になられた神様の子供たちなので、神様にそっくりなのではないかと思います。

実は、私は生まれて数日で母を亡くし、祖母に育てられました。母親の愛がどんなものなのかも知らないながらも、漠然とその愛を恋しがっていました。そのためか、どこの教会でも聞いたことのない母なる神様に関する御言葉を聞いた時は、最高に嬉しかったです。直節会うことはできなかったとしても、お父さんがいれば当然お母さんもいなければならないのに、以前はなぜ母なる神様の存在を考えることすらできなかったのか不思議でした。創世記1章の「私たち」という単語だけ見ても、父なる神様と母なる神様が共に天地を創造されたことは明らかでした。これまで真理のないところで過ごした歳月がもったいなく感じられました。一日も早くまともな信仰生活がしたくて、すぐにバプテスマ(浸礼)を受けると言いました。そうして神様の子供として生まれ変わり、切実に願っていた母の愛を受けられるようになりました。

とても遅く母なる神様を受け入れ、真理を悟ったと思い、熱心に礼拝に参加し、情熱的に聖書の勉強に臨みました。聖書の御言葉を学べば学ぶほど、真理は確かでしたし感動的でした。特に永遠の命を得る真理を悟ることができて嬉しかったです。正しい信仰を持つ前は、公平な神様なので、神様を信じて善良に暮らせば、天国で報いを与えてくださるだろうと信じていました。神様が正しく生きる人を死なせるはずがないと思っていました。けれど、それだけでは不十分だということが今は分かりました。聖霊と花嫁のもとに来て新しい契約を守る者たちに、永遠の命という祝福を下さり感謝いたします。

真理を悟ってから新たな目標ができました。「行って、すべての民を弟子にし、命じておいたことを守るように教えなさい」という御言葉どおり、失われた天の家族を捜して神様の懐に導くことです。数十年間、常に車の中に聖書を置いて真理の教会を探し回った私のように、きっと今も神様を心から探し求めている人がいるでしょう。いつ、どこで、誰に出会っても、救いの知らせと正しい真理を伝え、命を救うために努力します。