安息日をどのように迎えるべきでしょうか?

72,044 回視聴

神様が下さる祝福を充分に受けるためには、安息日をどのように準備して迎えるべきなのか、調べてみましょう。

まず第一に、準備の日を通して安息日に備えなければなりません。

安息日の前日は、安息日を準備するという意味で、準備の日といいます。個人的な用事はなるべく前日である準備の日に済ませ、片付けてしまうのがいいでしょう。その理由は、肉的なことによって霊と真理をもって守るべき安息日に、支障をきたしてはいけないからです。

「…神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」 ヨハ4:24

第二に、礼拝時間を正確に守らなければなりません。

安息日の礼拝時間は、全宇宙を治めておられる神様との出会いの時間です。一国の国王に会う機会が与えられたら、人々は約束の時間の1時間前、あるいは少なくとも20~30分前には、指定された場所に先に到着して待つでしょう。まして王の王であられる神様にお会いして祝福を受ける時間は、それよりももっと、より貴く偉大なる時間ではありませんか?ですから、予め到着して準備し、礼拝時間を厳粛に守らなければなりません。

第三に、敬虔で厳粛な雰囲気の中で礼拝をささげなければなりません。

安息日の礼拝時間は、霊と真理をもって祈り、神様をほめたたえ、神様に栄光を帰す時間です。したがって、敬虔で厳粛な雰囲気の中で礼拝が行われなければなりません。ところがそのような時間に、どこからか赤ちゃんの泣き声や、子供たちがふざけ合う声が聞こえてきて、礼拝に集中できなくなれば、他の聖徒たちは不快に感じてしまいます。

だからといって、子供たちを教会に連れて来てはいけないという意味では、決してありません。イエス様も子供たちをとても愛されました(マコ10:14)。

ただ、親が子供に「教会とは、敬虔な心で礼拝をささげる場所だ」ということと、「礼拝時間には、静かにしなければならない」ということを事前に教えておかなければなりません。そうすれば、たとえ幼いとはいっても、子供は神様に礼拝をささげるという敬虔な心を学ぶようになるでしょう。

実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。 ロマ10:17

第四に、兄弟愛の実践に努めます。

安息日は、一週間会えなかった、愛する信仰の家族に再会する時間です。一週間という期間、離れていたのにまた会えたので、お互いどう過ごしていたのかとても気になるし、色々話すべき内容も多いのではないでしょうか。聖書の御言葉の中で知りたいことを質問したり、先週あったことを話しながら、お互いに力になろうという心で祈るなど、真の交わりができるよう力を尽くさなければなりません。

しかし、信仰の家族たちに接する際に、必ず気をつけるべき注意事項があります。

  • 自慢話を並べたてるなど、おごり高ぶってはいけません。
  • 他の家族が多少足りない点があったとしても、その家族の咎を寛大な心で包んであげなければなりません。
  • 他人が聞いたときに、恵みを感じられない話は、避けたほうがいいでしょう。
  • お互いに恵みを与え、その人を造り上げるのに役立つ言葉を口にするようにしなければなりません。
  • 暗い表情やしかめっ面で家族に接するよりは、明るくて活気に満ちた笑顔で挨拶し、楽しく接するべきです。
  • 福音の働き手は、自分に委ねられた羊の群れが、安息日を喜びながら楽しく過ごせるように、すべてにおいて親切と誠意を尽くして奉仕しなければなりません。
  • 礼拝の後、教会の中にメモ紙、本、カバンなどが散らかっていたり、紙くずや子供たちが食べた後に片付けなかったお菓子の袋が散乱していることもあります。このような場合、掃除当番が特に決まっていなくても、各自、目に付いたゴミからすぐに片付けて掃除すれば、密かに見ておられる神様が、心の底からにじみ出るその献身を祝福されるでしょう。

安息日は、実に聖なる祝福された日です。安息日を守ることは神様が神様の民だけにお許しくださった特権です。心と精神と思いを尽くして安息日を準備して守る、神様の子供にならなければなりません。

考えてみましょう
安息日を恵み深く迎えるためには、個人的な用事はなるべく、どのようにするのが良いでしょうか?
安息日に、家族との交わりを持つとき、注意すべき点があるとすれば、何でしょうか?