神様を畏れていたので

出1:15-21

12,622 回視聴

ヤコブの子孫がエジプトの地に住んでいた頃、イスラエルの民の数が日増しに増え、エジプトの民よりも多くなった。これに危機を感じたエジプトの王は、二人のヘブライ人の助産婦シフラとプアを呼んで厳命を下す。

「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるときには、子供の性別を確かめ、男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ。」

背けば死を免れることのできない王の命令。しかし、神様を畏れていたので、二人の助産婦は王の命令に背いて男の子を生かしておいた。この知らせを聞いた王は、激怒してシフラとプアを捕らえる。

「どうしてこのようなことをしたのだ。お前たちは男の子を生かしているではないか?」

助産婦たちは、神様が知恵を下さり危機を免れる。

「ヘブライ人の女はエジプト人の女性とは違います。彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」

神様はこの助産婦たちに恵みを与えられ、彼らの家は栄え、民は数を増し、はなはだ強くなった。

王が下した命令に背く時、自分たちの命が危うくなるかも知れなかったが、助産婦たちは神様の側に立って決定し、行動した。命の脅威を冒してでも、民族に被害を及ぼさなかった二人の女性には、危機の状況から抜け出す知恵はもちろん、家が栄える祝福が臨んだ。

助産婦たちが生死を分ける選択の岐路で、神様の側に立つことができたのは、神様を畏れ敬っていたからである。神様の国に属する人々は、いつ何時でも、神様の御心を先に考える。

信仰生活をしてみると、複雑な状況に陥り、困難な選択を迫られることがある。そのたびに、神様を畏れ敬う心で判断し行動しよう。完璧で欠けたところのない天の知恵と祝福が与えられるだろう。

主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。 詩34:9