掃除の力

154 照会

人は誰でも汚いところより清潔な場所を好む。しかし、どこでも自ずときれいになることはできない。じっとしていてもホコリは積もり、何をしてもゴミは出るものだ。だから私たちは掃除をする。捨てて拭いて整理する、あまり重要ではなさそうなお掃除。ところが、この掃除には思った以上の驚くべき力が隠されている。

割れ窓理論

掃除をすると体は少しだるくても気分はすっきりする。ところが、掃除が気分だけでなく、人の心、行動までも左右するという。これを証明するのが「割れ窓理論」だ。

米国の心理学者フィリップ・ジンバルド教授は、治安が悪い路地に同じ状態の二台の自動車をボンネット(自動車の前の部分のカバー)を開けたままにして、一台だけ窓ガラスを割った後に起きる変化を見守った。わずか10分で、窓ガラスが割れた車は、バッテリーやタイヤなどの部品が消えた。また、乱雑な落書きで覆われ、破壊され、古い鉄の塊に変わってしまった。一方、窓ガラスが割れていない車は、最初の状態をそのまま維持した。

つまり、割れ窓理論とは、傷んで汚く見えるものはむやみに接し、きれいなものは注意してよく保存しようとする人間の無意識的な心理を端的に表すものなのだ。

実際、1980年代に60万件以上の重犯罪の中心舞台だったニューヨークの地下鉄が、今日、市民に安全性を認められるようになったのは落書き消しプロジェクトのおかげだった。些細な落書きを消す時間に犯罪取り締まりにもっと力を入れなければならないという声も高かったが、落書きによる汚れが重犯罪を招くという意見により、何と5年にわたって全車両の落書き消しが断行された。その効果は驚くべきものだった。徐々に減り始めた犯罪率が三年後には80%も急減したのだ。日本の場合もある清掃ボランティア団体が定期的に遊興街を掃除した結果、街がきれいになったのはもちろん秩序も良くなったという。

割れ窓理論は、家の周辺や路地でも簡単に見つけることができる。ゴミを捨てるところではないのに、いつもゴミが積まれている電柱がある。誰かによって小さなゴミが置かれた後から、多くの人がそこに躊躇なくゴミを捨てるようになり、いつのまにか山盛りになってゴミ捨て場になるのである。

何でもないような落書き一つ、ゴミ一つが人と社会全般に及ぼす影響力がこのようだとしたら、逆にきれいに掃除をした時、その肯定的な効果も決して小さくないだろう。

成功と幸せを呼ぶ掃除法

日本の政経界で有名な人物の中には、「松下政経塾」出身者が多い。松下政経塾は経営の神と呼ばれる松下幸之助会長が政治家や経営者などの人材を養成するために設立した教育機関だ。ここの一日の日課はいつも掃除で始まるが、ある日ある学生がなぜ掃除をしなければならないのか彼に尋ねたという。すると彼は「自分自身の周りも片付けない人がどうやって国家と世界をきれいにすることができますか」と答えた。彼は政経塾だけでなく工場でも大掃除の日になると、トイレなど見えないところまできれいなのか確認し、汚いものが目につくと直接進んで掃除した。

多くの日本企業がこのような彼の清掃経営を学んでいる。ある人材開発グループの女性CEOも会社の売上高が停滞すると、全社員が使う共同トイレを素手で掃除し始めた。CEOは「素手でする掃除を通じて感謝と謙虚、仕える姿勢などを学び、社員とのコミュニケーションも円滑になった」と話した。すると、社員たちも一緒に掃除で業務を始め、一日中気分が良く、より能率的に働くようになったという。このため社員の離職率が減り、会社は掃除する前より二倍の売上を上げ、現在まで着実に成長傾向を見せている。

この程度になると、掃除が個人に喜びを、企業に成功をもたらすほどの相当な力を発揮するということは否定できない。だからといって潔癖症のように掃除に執着したり、強要に勝てず仕方なく掃除をしろというわけではない。ほとんどの人ができれば汚いものは避けようとし、また片付けることを面倒くさがるように、明らかに掃除はしたくないことの一つだ。

成功した人たちには黄金の法則がある。まさに「他人が自分にしてくれるようにと願うことを自分が先に他人にしてあげろ」ということだ。この黄金法則は掃除にも適用される。掃除の専門家たちは、掃除をする時、「自分だけのためではなく、他人のためにするという気持ちで楽しめ」と言う。これが自分も他人も喜ばせる、幸せを呼ぶ掃除だ。

捨てる美学

「人生の問題を解決するためには、まず裁縫箱を片付けなさい」

英国の思想家トーマス・カーライルはこう語った。実は、心が苦しいと掃除するのも大変だ。しかし、逆に考えてみた時、掃除をすることで複雑な頭の中も、落ち着かない気持ちも整理できるのではないか。その上、整理できていない場合、集中力が落ちて仕事の能率が上がらない時が多く、何がどこにあるのか分からなくて探すのに余計に時間を浪費することもある。

うまく整理するためには、まず「捨てる」ことをうまくしなければならない。掃除がうまくできていないところの目立った特徴は、捨てるべきゴミが放置されているという点だ。国内外で有名な整理専門家たちは「できれば捨てなさい」と強調する。「もったいない」という考えで簡単に捨てられないものを果敢に捨てることが掃除を簡単に始められる秘法であり、複雑な心まできれいに整理する道だということだ。

もう一つ、掃除は「随時」することがカギである。年に一度、月に一度、一日に一度掃除する人がいると仮定してみよう。どの人の家がもっときれいだろうか?掃除直後はみんな同じだろうが、その清潔さを維持し続ける家は断然掃除をよくする家だ。

ある人は「掃除をしてもすぐにまた汚くなる」と愚痴をこぼしたりもする。それで「どうせまた汚れるから」と思って掃除を先送りする。ゴミとホコリはずっと積もっていくのにだ。今すぐ面倒だと言って手放すと、掃除をすることはますます大ごとになるものだ。少し大変でも頻繁に掃除してきれいな状態を維持することが手間を省くことである。覚えておこう。思い切って捨てて、随時するのが最高の掃除の秘訣だということを。

わが魂の掃除

きれいな環境、身の回りの清潔さも重要だが、最も清潔でなければならないのは、ほかならぬ私たちの魂だ。

あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。 一コリ3:16-17

私たちはすでに浸礼、そして新しい契約過越祭によって、すべての汚れた罪から清くされた(一ペト3:21、マタ26:17-28)。だが、世の中に属している故に、清くなった私たちの魂に知らないうちに世の中の虚しい夢と悪い言葉、欲望などのホコリが積もり、恨みと憎しみのような不必要なものが絶えず入ってくる。これらを適時に片付けなければ、神様が与えてくださった祝福とタラントンが何かを忘れて、他人の祝福を妬んで結局、不平ばかり言うことになる。

掃除の核心は捨てることだ。それも随時。私の魂が不満に満ちていないか、しつこい垢のように世の中の古い習慣やパン種がくっついていないか絶えず振り返ってみて、魂の幸せと救いに不必要なものは果敢に払い出してしまわなければならない。非常に小さな憎しみ、見栄、恨みの心が徐々に積もり、魂を汚し、結局サタンの誘惑を容認するようになるためだ。

怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。 エフェ4:26-27

の貞潔さを維持するためには、神様の御言葉を常に調べ、実践しなければならない(詩119:9-10、エフェ5:26-27)。また、この時代の愛の掟として与えられた御母様の教訓に完全に従わなければならない。与える愛、仕え、犠牲などの教えが込められた母の教訓が、まさに私たちの魂を清くさせ、皆を幸せにする掃除法だからだ。

キリストの人生はひたすら子供の救いのための犠牲の人生だった。私たちも自分のためだけの人生ではなく、犠牲の模範を見せられた父と母を思いながら、兄弟姉妹のために良いことが何なのか、神様が喜ばれることが何なのかを思案する人生を生きなければならない。

「どうすれば、兄弟姉妹が祝福を受けるようにできるだろうか?」

「どうすれば、より多くの魂を救うことができるだろうか?」

このような考えでいっぱいになれば、心がきれいに整理され感謝があふれるようになる。その時になって初めて神様が私にくださった祝福が何なのかを落ち着いて振り返り、受けたタラントンを十分発揮できるのである。

新年が明けた。暗い世界を照らす光として、世界を浄化する塩として召された私たち。まず、心の窓を開けて、長い間、積もったほこりを吹き飛ばし、祈りと感謝で古い垢をすべて拭き捨てよう。そして驚くべき祝福が準備された一年を力強く出発してみよう。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。“霊”の火を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。 一テサ5:16-23