必要なものを十分にくださったとしても

韓国 大田 / ヨ・インウォン

135 照会

去年の冬、寒波警報が出た日でした。シャワーをしていた妻が、お湯が出ないと言って、ボイラーがちゃんと動いているかと聞きました。見るとボイラー作動機に赤信号がついていました。電源を切ってからまたつけてみましたが、作動が止まってしまって無駄でした。どうしたらいいか悩んでボイラーのあるベランダに出て、本体に付いている故障時の措置事項を詳しく読んでいきました。暖房フィルター内部の濾過網を掃除するようにという内容が目立ちました。すぐにフィルターを見つけて分解しました。濾過網は砂粒のような細かい異物でいっぱいでした。異物をきれいに取り除き、電源を入れ直すとボイラーは正常に作動しました。

今回のことは私に大きな悟りをくれました。ボイラーを稼動させるのに必要な電気、水、ガスなどはすべて正常に供給されていましたが、内部濾過網に積もった小さな異物によってボイラーの稼動が停止してしまいました。そのように神様が信仰の道で私たちに必要なものを豊かに与えてくださっても、私の心の中に充満した欲望、だめだという疑い、角張った性格などが異物のように作用し、祝福の障害になりかねないという気がしました。

信仰生活に害になるような考えと心は未練なく捨てなければなりません。そうしてこそ、私自身だけでなく周りのにも温かい神様の愛を完全に伝えることができるからです。