天の母に似た切実さで

韓国 城南 / オム・ノウル

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七転八起。七回転んだら八回起きればいいと言いますが、私はたった二回転んだだけで再び挑戦する気にはなれませんでした。

実は、転んだわけでもありませんでした。二回の海外短期宣教で、たとえ福音の結実はなかったとしても、あまりにも貴重な悟りと感動を得たからです。言葉がよく通じなくても、嬉しいことは皆が自分のことのように喜び、誰かが苦しめば共に慰めながら「兄弟愛とはこういうものなんだ」という霊的連帯感を感じ、見慣れないところでの奉仕活動は視野を広げてくれただけでなく、神様の栄光を表わしたという胸いっぱいの感動まで抱かせてくれました。

振り返ってみると、ありがたいことがあまりにも多かったのですが、私の心にはずっと一つの思いだけが浮かんでいました。

「今回も実を結ぶことができなかったら?」

三回目の短期宣教に出る機会が目の前にありましたが、否定的な考えにとらわれたせいか、なかなか勇気が出ませんでした。機会がある時にそれを捕かむことができなかったらもっと後悔するということを分かっていましたが、もっと準備して挑戦しようと言ってしきりに自分自身を合理化するだけでした。

意気消沈したまま2023年の一年を過ごすと、やはり後悔が押し寄せてきました。怖さで海外宣教の機会を後回しにするといつまでも後悔するばかりでしょう。変わらなければなりませんでした。神様の御手を握って立ち上がらなければなりませんでした。ありがたいことに、神様はこんなに不足で臆病な私にもう一度、機会を与えてくださいました。目的地は一度も行ったことのない未知の世界、ナミビアでした。

出国前まで一生懸命、気を引き締めました。ところが出国当日、心ではなく体に問題が生じました。急に体調を崩したのです。出国を準備しながら団員たちと共に元気に福音を伝えて帰ってくることを祈ろうと約束しておきながら、いざ祈りを疎かにした私の姿が浮び上がりました。すべての面で神様を頼らなければならず、細めに祈り求めなければならないということを切実に悟る瞬間でした。元気に行ってこれるよう助けてくださるようにと、ようやく悔い改める気持ちで祈り、神様はその祈りに答えてくださいました。ナミビアに着いた時にはすっかり元気になっていました。全てのことに神様を頼りにしようという誓いの中で宣教の旅程を始めました。

二日目に、甥の面倒を見ていたディネラーゴという青年に会いました。災いから保護される確実な印である神様の刻印について伝えましたが、特別な反応がありませんでした。後で分かったことですが、彼は現地語のオバンボ語を使い、英語の私たちの言葉を正しく理解できていなかったのです。現地の家族とオバンボ語で聖書についてもっと調べてみるかと聞くと、快くそうすると言いました。二回目に会った時は、真理について気になる点を質問し、聖書の御言葉に大きな関心を示しました。次回会う日に新しい命の祝福を受けることにしましたが、その後ディネラーゴから家に家族が来たので私たちと会うことが難しいという連絡を受けました。御言葉を調べることにした他の人たちも大部分返事がなかったり約束を延ばしました。気が引けて、「今回もだめなのか」という弱い考えがふと心の中で揺れ動きました。そうであればあるほど、もっと切実に祈りました。その魂が救われるよう繰り返し神様にしがみつくように祈りました。この短期宣教が私にとって祝福の機会であると同時にナミビアの人々にとっては救いの機会でもあったからです。どうかこの機会を逃さないよう願いました。

焦がれる天の母の心情が、少しだけ察せられました。今までどれほど気を揉まれながら、子供たちが一人一人母のもとに戻ってくるのを待っていたのでしょうか。天の母が私たちをあきらめられなかったように、私たちもこの魂をあきらめることはできませんでした。

ふと、実を結びたければヨハネの福音書15章を読みなさいと言われた母の教訓が思い出され、直ちに聖書を開いて読みました。

人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 ヨハ15:5

私たちにできることは、ただ神様に祈ることだけでした。二回も約束が延ばされた末に、ディネラーゴに再び会う日にも家族とヨハネによる福音書15章を読みながら、彼が必ず神様の子供になるよう願いました。端正な服装で私たちを迎えたディネラーゴは、ついに新しい命の祝福を受けました。三回目の短期宣教を通じてついに探し当てた家族。夢のような現実に喜びの涙が流れました。

夢見るように幸せだった日々を後にして韓国に帰ってきました。しばらくしてナミビアで縁を結んだティファニーという青年が現地の家族たちと続けて御言葉を勉強しているという事実を知りました。真理を悟り、必ず救われることを日々祈りました。1ヵ月ほど経って、その方も新しい命の祝福を受けたという知らせを聞きました。ナミビアで撒いた御言葉の種が家族を通じて命の水が供給され、結局芽を出すようになり神様に感謝しました。

海外宣教に参加して挫折も味わい、福音の目標を成就する喜びも感じながら得たことが多いです。福音の中で受ける苦難と困難は結局は全て私たちが大きな器になるように助けてくださる神様の御手であることが分かりました。以前の海外宣教で兄弟愛を学んだとすれば、今回は魂を救うための切実さを学びました。神様がくださった貴重な教えを心に刻み、救いをお許しくださった恵みを当然のように思わず、望み通りにならないとしても失望しません。天の母に似た切実さで世界福音を完成するまで熱く、もっと熱く走っていきます。