預言の御言葉どおりに、朝露のような青年たちが立ち上がって、神様の御前に喜んでおのれをささげようと次々に登場しています。青年らしい意気込みと熱い信仰によって多くの聖霊の実が結ばれることを願い、婦人、壮年、学生、幼少年、老年に至るまで、神様の栄光を現しておられる聖徒の皆さんも、豊かな実の祝福を受けられますよう願います。
神様に出会う前と後で、私たちには多くの変化がありました。神様に出会ってから、私たちの姿は神様に出会う前に比べてどのように変わり、私たちの生き方はどう変わったのか、聖書の御言葉を一緒に調べながら振り返ってみましょう。
神様に出会う前、私たちは死に縛られていた罪人でした。聖書は、神様に出会った後、神様だけがお持ちの「永遠の命」を持つ者として新たに生まれ変わった私たちの変化を「接ぎ木」にたとえています。
麦の初穂が聖なるものであれば、練り粉全体もそうであり、根が聖なるものであれば、枝もそうです。しかし、ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたが、その代わりに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになったからといって、折り取られた枝に対して誇ってはなりません。誇ったところで、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。すると、あなたは、「枝が折り取られたのは、わたしが接ぎ木されるためだった」と言うでしょう。そのとおりです。ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。神は、自然に生えた枝を容赦されなかったとすれば、恐らくあなたをも容赦されないでしょう。だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう。彼らも、不信仰にとどまらないならば、接ぎ木されるでしょう。神は、彼らを再び接ぎ木することがおできになるのです。もしあなたが、もともと野生であるオリーブの木から切り取られ、元の性質に反して、栽培されているオリーブの木に接ぎ木されたとすれば、まして、元からこのオリーブの木に付いていた枝は、どれほどたやすく元の木に接ぎ木されることでしょう。 ロマ11:16-24
植物学において「接ぎ木」とは、植物の組織の一部を他の植物に接着させることを指す用語です。聖書では、神様と私たちの関係を木と枝との関係にたとえながら、私たちが神様を離れては何もできない存在であることを強調しています(ヨハ15:1-5)。
聖書では、神様と私たちの関係を木と枝との関係にたとえながら、私たちが神様を離れては何もできない存在であることを強調しています(ヨハ15:1-5)。ローマの信徒への手紙の中で、特に「接ぎ木」にたとえて説明しているのは、私たちが罪人であった過去の本性を捨て、神様に似た姿に変わっていかなければならないという事実を諭しているのです。
韓国語では、似た品種でも良いものは「真の」という接頭語がつき、良くないものは野生という意味で「石の」という接頭語がつきます。オリーブの木にも良質のオリーブの木がある一方、野生のオリーブの木がありますが、野生のオリーブの枝である私たちが、真のオリーブの木であられる神様に接ぎ木されたのです。私たちが元々持っていた本性では、永遠なる天国には入れなかったために、神様に接ぎ木されて永遠の命を持つ者として新たに生まれ変わったのです。
接ぎ木がうまくいった枝は、真のオリーブの木の性質をそのまま受け入れます。真のオリーブの木が持つ良い成分と栄養をもらって、実の形も良くなり、害虫に打ち勝つ力もより強くなります。
神様に出会う前、私たちの人生は平凡で、限りある人生に過ぎませんでした。生計のために働きはしても希望はなく、食べることに汲々としているうちにだんだん年老いていき、迫り来る死を前に人生の虚しさを嘆きつつ、その生涯を終えるしかない私たちでした。
しかし、神様に出会ってからの私たちは違います。神様に出会う前は、世俗的なことに心が奪われていましたが、神様に出会ってからは何もかもが変わりました。私たちを呼ぶ呼び方からして、変わったのではありませんか?以前は称号などなかった人が、神様に出会ってからは新しい契約の働き手としての職分も得、キリスト者という称号も授かり、エロヒストという栄えある称号もいただきました。神様は私たちのために、天にさらに大きな祝福を準備しておかれました。
ただ、わたしが行くときまで、今持っているものを固く守れ。勝利を得る者に、わたしの業を終わりまで守り続ける者に、わたしは、諸国の民の上に立つ権威を授けよう。彼は鉄の杖をもって彼らを治める、土の器を打ち砕くように。同じように、わたしも父からその権威を受けたのである。勝利を得る者に、わたしも明けの明星を与える。耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」 黙2:25-29
神様に出会う前に持っていた私たちの夢が、この地で一企業の経営者になってみたり、小さなマイホームを持つ程度だったとすれば、神様に出会った後には、私たちが持っていた夢とは比べものにならないほどの大きな夢が生じました。それは天国で王の系統を引く祭司になって、多くの国を治めることです。神様は宇宙全体を眺めることのできる広い視野を与えてくださいました。
この地で高い志を持っている人は、ある会社のCEOや、一国を治める大統領を夢見たりもします。しかし、一生をかけてあらゆる努力をした末にそのような地位に就いたとしても、そう長くは続かないばかりか、期待していたほどの喜びや安心感を味わうこともできません。表向きには華やかそうに見えても、実際にはほとんどが苦しみを伴うものだからです。
天国の権威は、この地の権威とは質的に異なります。神様に出会った私たちが行く天国は、苦しみや痛み、悲しみがなく、日々新しい喜びが創造される永遠の世界です。神様は私たちにこれほど美しく永遠なる天国で、多くの国を治める権威を与えると約束してくださいました。私たちの神様は、決して嘘をつかれるような御方ではありません。私たちが、この地では誰も分かってくれず、しがない存在に見えたとしても、将来天国に行けば、あらゆる面で変化を遂げるようになっています。
このような神様の御国に入りたいと願うのであれば、元々持っていた野生のオリーブの木の本性をすべて捨て去らなければなりません。罪人であった自分の本性を消し去ることを、聖書では「新たに生まれる」と表現しています。「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言われたのは(ヨハ3:3)、野生のオリーブの木の本性を捨てて、神様の本性に新たに生まれ変わってこそ、天国に入れるという意味です。
エロヒム神様に出会った私たちは、野生のオリーブの木から真のオリーブの木に変わりつつあります。神様が、神様の御国で王の王、主の主であられるように、私たちにも多くの国を治める権威をお許しくださるという御言葉を心に深く刻み込みましょう。そして、この地への欲望を抱いて生きるスケールの小さな人間になるのではなく、天の大きな希望を抱きつつ天に向かって力強く駆けて行かなければなりません。
ペトロも神様に出会う前は、単に生計を立てるために魚をとる漁師に過ぎませんでした。他人に施すよりは、ただ自分自身のために日々働きながら、目標のない漠然とした人生を送っていましたが、キリストに出会ってからは、彼に多くの変化が起こりました。
そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。 マタ4:17-20
イエス・キリストの僕であり、使徒であるシメオン・ペトロから、わたしたちの神と救い主イエス・キリストの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を受けた人たちへ。…主イエスは、御自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました。それは、わたしたちを御自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです。 二ペト1:1-3
イエス様に出会う前のペトロと、イエス様に出会ってからのペトロでは、あらゆる面で異なりました。その肩書きからして「漁師」から「使徒」へと変化しました。神様に出会う前は「今日は魚がどれくらい捕れるだろうか」と心配していましたが、神様に出会ってからは「今日は何人の魂を救いに導こうか」と考えるようになりました。神様の約束を胸に、そして天国に行けば「王の系統を引く祭司」(一ペト2:9)になれるという希望を胸に、期待でいっぱいの日々を生きていました。時には肉体的に疲れていても、彼には希望がありました。
ペトロだけでなく、使徒ヨハネや使徒パウロも同じです。神様に出会ってから使徒たちがこのように変わったように、私たちも神様に出会う前と後ではこんなにも変化しました。以前の私たちは野生のオリーブの木でしたが、今では真のオリーブの木に接ぎ木され、真のオリーブの木の一部となりました。それならば、私たちの夢と未来も、真のオリーブの木と同様にならなければなりません。神様の望みが私たちの望みとなり、神様が願われることが私たちが願うことにならなければなりません。
真のオリーブの木であられる神様がいつも心に抱き願ってこられたのは、人類の救いです。人の子が来たのは、失われた者を捜して救うためであり(ルカ19:10)、二度目にこの地に来られるのも救いのためだと言われたので(へブ9:28)、全世界が救われるように最善を尽くすことが、まさに真のオリーブの木の本性をそのまま受け継いだ者の心構えであるといえます。
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」 マコ1:35-38
キリストは、世界を救うことに希望と関心をお持ちでした。そのために休むことなく早朝から祈りをささげ、宣教されたのです。世界を救おうと決意して肉体をまとって来られた神様の情熱が、私たちにそのまま移植されたので、私たちもそれぞれの福音の分野で最善の努力を傾けているのではありませんか?
神様に出会う前、私たちの生きる目的がこの世のことに向かっていたとしたら、神様に出会った後は永遠なる天国に向かって進んでいくべきだと思います。毎日御言葉を調べ、神様と同化できない部分は取り除き、神様が喜ばれる方向に自分を変えていかなければなりません。私たちの元々持っていた本性を一つずつなくしていき、神様の本性を受け継ぎながら神様の思いが私たちの思いになり、神様の喜びが私たちの喜びになり、神様の願いが私たちの願いとなって、神様が私たちの内におられ、私たちが神様の内にいる関係になるべきです。
過去の、神様に出会う前の状態に戻ってしまってはなりません。私たちはひるんで滅びる者ではなく、魂の命を確保する信仰によって、神様に出会った後の状態に新たに生まれ変わった者なのです(へブ10:38-39 参考)。
神様が私たちに新しい契約という法を下さって、昔はそのように生きることのできなかった私たちを神様の内に導いてくださり、神様の安息日、神様の過越祭、神様の掟、神様の契約など、神様のものをすべて守るようにと頼まれました。それは、私たちを抑圧して拘束しようというのではありません。接ぎ木された野生のオリーブの枝が、真のオリーブの木の性質をそっくりそのまま受け入れなければ、腐って結局は死んでしまうからです。接ぎ木されたのなら、真のオリーブの根から供給されるエキスを枝の先端まで浸透させ、真のオリーブの木の性質をそのまま所有しなければなりません。
イエス様は「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」と言われました(ヨハ15:5)。神様の教えから離れてしまえば、それは魚が水の中から飛び出すのと同じ行為で、接ぎ木された野生のオリーブの枝が、真のオリーブの木から折り取られてしまうのと何ら違いはありません。
ローマの信徒への手紙11章では、神様の中に存在するようになった私たちを、真のオリーブの木に接ぎ木された野生のオリーブの枝になぞらえて説明していますが、これを他の聖句では、古い人を脱ぎ捨てて新しい人を身に着ける私たちの過程であると教えています。
そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。 エフェ4:17-24
異邦人と同じように歩んではならないと言いました。異邦人の生き方と私たちの生き方は異なります。サタンは異邦人が望み願うことを私たちの心に移植させようと、あらゆる手段を用いながら数え切れないほどの悪巧みを企てています。しかし、私たちがサタンの誘惑に負けてこの世と同化してしまえば、神様の御心に逆らってしまい、真のオリーブの木から外れ落ちてしまいます。
私たちの本性も考えも、生活もみな変わらなければなりません。エフェソの信徒への手紙にある「古い人」とは、野生のオリーブの木の性質を持った私たちの本性です。これを無くすことで、真のオリーブの木と一つになることができ、一つの体としての役割を果たすことができるのです。
真のオリーブの木であられる神様が何を喜ばれるのかが、聖書に記されています。宣教に力を注ぐ人、神様の御心に従うことを楽しむ人、神様の掟を慕い求める人、神様のものならすべて尊重して愛するこのような姿に、私たち皆が変化していかなければなりません。
両親は、自分に似たわが子を格別に可愛がるといいます。私たちも神様の中で神様に似た姿に変化しなければなりません。神様が人類の救いを喜んでおられるので、私たちもやはり救いを喜び、熱心に福音を伝えて、全人類を天国に導く信仰の精神で、神様の思いと一致させていかなければなりません。
国内外で、毎日神様の福音を喜んで伝えている数多くのシオンの家族がいます。誰もが神様そっくりになりつつある、美しい姿です。天の父と母の栄光が地の果てまで、天地を越え宇宙にまで響き渡るその日まで、野生のオリーブの木から真のオリーブの木の性質にすっかり変化して、古い人を脱ぎ捨てて新しい人を身に着けてください。そうなって初めて「生まれ変わった」「変化を遂げた」と言えるでしょう。数多くの良い実を結んで、豊かな聖霊の祝福を受け、神様の御国で諸国を治める権威を享受される、天の王の系統を引く祭司に必ずなられることを願います。
再生速度
AIによって生成された音声です。一部の違いがある場合がございます。