祝福の波がうねる福音の大海原へ

韓国 仁川 / オ・ジヨン

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パナマ運河で有名なパナマ共和国は、私にとって生涯初の短期宣教の思い出が詰まった国です。短い期間でしたが、一日中宣教し、海外の家族と母の愛を分かち合いながら過ごした時間は、本当に幸せな時間でした。ただ語学力不足で、知っている聖書の御言葉も正確に伝えることができず、現地の家族に本当によく助けてもらいました。それで昨年の冬、2年ぶりに再び短期宣教の機会が訪れた時、ためらうことなく宣教地をパナマに決めました。真理を堂々と伝えようという覚悟と、前回受けた愛を二倍にして分けてあげようという誓いを胸に…。

出国まで、聖書の御言葉の勉強とスペイン語の勉強に励みました。ちょうど「外国語聖書発表力コンテスト」が開かれ、スペイン語の真理発表の練習に、一層力を入れて取り組みました。コンテスト以後も、その時身につけたスペイン語を忘れずに活用しようと数え切れぬほど練習し、暇を見つけては映像説教を聞いて信仰を固めました。それでも出国日が近付くと、じわじわと不安な気持ちになりました。相変わらず自分自身がとても足りないところだらけに見えました。

「私よりスペイン語が上手で、信仰がある家族が行けば、もっと多くの魂を導けるんじゃないか?」

そんな私の気持ちをすべてご存知の天の母が、短期宣教団に信仰と勇気を溢れるほど与えてくださいました。

「神様がすべて準備しておかれました。皆さんはその祝福を受けに行くのです。」

萎縮していた心をほぐして励ましてくださる御言葉に、力がぐんと湧き胸が熱くなりました。

ときめきと期待を胸に20時間かかってパナマに到着しました。パナマは赤道付近に位置している常夏の国で、気候は乾季と雨季に分けられます。私が行った時は雨季が終わり乾季が始まっていましたが、空気中にまだじめっとした感じが残っていました。蒸し熱い熱気が全身を包み込む瞬間、パナマにやって来たということを実感しました。

宣教地は、首都パナマシティから西へ18キロメートルほど離れたアライハンという都市でした。わずか2年前まで、管理者と宣教団員だけでも神殿が一杯になるほど小さな規模だったアライハンシオンは、その時より何倍も大きくなっていました。当時見つけた家族たちが福音の働き手となって、一緒に御言葉を伝えるために私たちを待ってくれていました。その姿を見た時は、感無量でした。

ついに福音を伝えに出た初日、いざ現地の人たちと向き合ってみると言葉が出てきませんでした。気後れしたせいか、韓国で何度も練習した内容もどもってしまい、きちんと伝えられなかったのです。2年前と似たような展開でしたが、結果は違いました。現地の家族に励まされ、やっと勇気を出したら、意外と多くの魂が忍耐強く私の言葉に耳を傾けてくれて、神様の懐に戻ってきたのです。

その日見つけた家族は、御言葉を聞くや否や、あれこれ質問を投げかけてきた婦人です。質問をすべて聞き取れなかった私には、この方が真理を理解できずにいるように見えました。予想に反してこの婦人は、救いの約束を受けたいと言って、シオンに来て浸礼を受けた後、安息日の夕方の礼拝を守って帰られました。その後、姉妹は家と距離がかなり離れているのにもかかわらず、安息日ごとにシオンに来られて、弟さんや息子さんたちも神様の祝福を受けました。姉妹の信仰が神様の内ですくすく育っていく姿を見ながら、感謝しながらも何だか狐につままれたような気分でした。

また他にも、快く私たちを家に招待してくれて、御言葉を聞いて二人の娘と一緒に神様の子供になった姉妹もいます。姉妹は一節一節調べる度に、しきりにうなずきながら御言葉に集中し、少しも悩むことなくおとなしい羊のように真理を受け入れました。その後、ご主人とお母さんを導いた姉妹は「聖書の勉強が本当に好きです。続けて教えていただけないでしょうか?」と私たちにせがみました。神様の御言葉を本当に愛し、真理を一日も早く周りの人に知らせたいという姉妹の真心が伝わってきました。

待ってましたとばかりに、真理を受け入れる魂たちを見ながら、天の母がおっしゃった「神様が準備しておかれた祝福」が何かを実感しました。神様は私たちが行く先ならどこでも祝福を注いでくださり、うまくいくようにしてくださるのに、自分の能力だけに目を向け、臆病になっていた過去が恥ずかしかったです。

家族と情熱的に福音を伝えているうちに、予定の日程はあっという間に過ぎ去っていきました。40度を上回る暑さや、韓国と昼と夜が正反対の14時間の時差に疲れたりもしましたが、貴重な悟りと過分な祝福のおかげで、自分を責めて苦しんだり怖気づくことなく、毎日心を引き締めながら楽しく福音を伝えることができました。

今回も大きな力になってくれた現地の家族に、感謝の言葉を伝えたいです。家族たちは、それぞれ置かれた状況があるにもかかわらず、アライハンに一カ月間滞在し、情熱と力を尽くして一緒に宣教してくれました。言葉もよく通じない私たちと過ごしながら、不便に感じられる点が少なくなかったはずなのに、いつも笑顔を絶やさず、細かく気を配ってくれました。厳しい状況の中でも福音のために喜んで献身し、多くの魂を救いの道に導く家族たちの姿は、深い感動を与えてくれました。

私の能力だけに頼った時には、海外福音のハードルがとても高く感じられました。福音の条件がよく整った韓国でも不足している点が自ずと現われるものですが、言語も文化も違う外国では私の至らない点がもっと浮き彫りになるだろうと思ったからでした。信仰の問題のほかにも語学力や体力不足などで、かえって現地の家族の重荷になるのではないかという心配が先に立ちました。それで長期宣教はもってのほか、比較的負担の少ない短期宣教にだけ志願したのでした。

パナマで迎えた二回目の宣教の旅程は、福音の主体は神様であり、神様が準備された祝福の道を歩むことが宣教であるということを身をもって感じさせられた時間でした。これからは神様に依り頼み福音に臨むと心に決めたので、たとえ宣教する場所がどんなところでも、堂々と福音を伝えられそうな勇気が、ふつふつと湧いてきます。

パナマ運河は山を削って平らにした水路ではないそうです。エレベーターのように船がドックに入ると水を満たしたり抜いたりする形で船を上げたり下げたりして大きな山脈を通過させるのだといいます。大きな船はドックに満ちた水路に沿って巨大な山脈を越えてこそ、新しい大洋に出会えます。私もパナマ宣教で満たしてくださった勇気と自信を抱き、怖れという障壁を越えて、広大な祝福の大洋に進んでいこうと思います。神様が準備された預言の波がうねる大海原へと。