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聖徒たちの正しい行いにより、世界各国で受賞の知らせが相次いでいます。このような内容を考えてみると、神様がシオンの民に世界中の人々から誉れを受けさせ、名声を得させてくださるという預言も、近いうちに完全に実現するものと信じます。
写しと影だと言われたこの地で、重ねて賞を受賞するのを見ると、神様が下さると約束なさった、私たちが天でいただく報い、つまり賞にさらに期待が高まります。神様は『わたしは報いを携えて来る』つまり与える賞があると間違いなく仰せになりました。宇宙から見ると、地球は無数の星々の間に隠れた一つの塵のような存在なので、地球でいくら大きな賞を受賞したとしても、永遠の神様の国で受ける賞とは、比べものにならないでしょう。私たちの神様がお許しくださる、福音のために召された者に下さる賞に向かって、今年一年も一生懸命走っていく、シオンの家族たちになられるよう願います。
「ナンバーワン」とは、最高という意味です。私たちにとって、ナンバーワンは誰でしょうか?それは、まさにわたしたちの神様です。
聖書は神様について『いと高き方』と表現しています。神様は『王の王、主の主』であられ、極めて尊く、どんな者とも比較にならない最高の神様であられます(一テモ6:15、イザ57:15)。全宇宙の万物を造られ、司られ、すべての人々に命と呼吸を御自ら与えてくださる方なので、文字通り、ナンバーワンという名称を用いられるに極めてふさわしい方です。
信仰生活をする上で、神様を最高だと思う心は、必ずなくてはならない必須要素です。神様を最高とみなせなければ、自分でも知らないうちに、イスカリオテのユダのような悪い考えが心の中に巣くうようになり、「御言葉をこれぐらい守らなくても、神様は大目に見てくださるだろう」といった、間違った考えに陥ってしまうようになります。しかし、天が地を高く超えているように、神様の道は人の道を、神様の思いは人の思いを高く超えているので、自分の考えを捨てて神様に立ち帰りなさいと言われました(イザ55:6-9)。
イエスはお答えになった。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、すべて抜き取られてしまう。そのままにしておきなさい。彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」 マタ15:13-14
天の父がお植えにならなかったものは、抜き取られてしまうとおっしゃったので、神様の聖なる御心だけが永遠に存在することでしょう。神様がお植えにならなかったこと、すなわち人間から出たことは、すべて滅んでしまい、いつかは終わりが訪れますが、神様がお植えになったことは、永遠に続くのです。
そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」 使5:38-39
神様から出たものは、滅びません。神様の御言葉は、決して消滅したり、無くなったりしません。人間の人為的な力で神様の世界を滅ぼすことができるでしょうか。全宇宙を治められ、初めから終末まですべてを見通される神様から出たものであれば、人間のどんな妨害にも滅びることはありません。「わたしのほかに神はない」、「わたしのほかに救い主はない」と言われた、私たちの神様の偉大さを、常に心に留める子供たちになるべきでしょう。
ナンバーワンであられる神様の子供になった私たちは、神様が天国でご覧になる時には、最も大切にされ、愛を受けるナンバーワンの立場になります。親が世の中で最も愛する存在が子どもたちであるように、最高であられる私たちの神様が、最高に愛される存在が、まさに私たちです。それなら、私たちがこれ以上ほかに、何を願うことがありますか。神様が愛する者のために準備されたすべてのものは、目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことだとおっしゃったので、私たちのために準備された驚くべき、恵みに満ちたその世界に、ただの一人も落伍せず、全員が到達できるようにならなければいけません。
このような希望を持ち常に悟りを得る生活をすれば、いつも楽しいのですが、悟りのない生活をすると、祝福を祝福とみなすことができずに、苦痛の日々を送るようになってしまいます。霊的な目を持つことが必要です。
人々は、霊の世界を悟ることができないために、この地での高い身分や職位を持ったり、この地で他人より少しでも良い生活を楽しむといった、そのような生き方に憧れていますが、実際には、私たちは皆神様の子どもであり、永遠な天国で世々限りなく統治する祝福を、神様がすべて準備してくださっています。
…もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。 黙22:4-5
天の父と母の御恵みで、以前、英国女王ボランティア賞を受賞した時のことです。女王が催すパーティーに招かれて王宮に行き、女王の孫の姿を近くで見たことがあります。王族だからといって、姿かたちが特別なわけではありませんでした。しかし、多くの人々が彼を羨ましがって尊敬し、礼遇していました。
「女王の孫」という身分だけでも、人々の羨望と尊敬の対象になるのに、大宇宙の天の世界に行った時、神様が愛される子ども、天の王子と王女の栄光となれば、どれほどのものでしょうか。新しい契約の福音による、「神様の子」というこの職分こそ、天使たちも羨むものであり、私たちが絶対に手放してはいけない祝福です。
私たちがしている仕事は、最高の仕事です。人類の幸せのために、国連で設定した17の目標があります。その目標を達成するために、世界各国の大勢の人々が様々な分野で努力しており、また、そのような努力について表彰もしています。それでは、人類の永遠の命と幸せのために、私たちがしているこの福音を伝える仕事は、どれほど価値があって偉大なことでしょうか。
この地のことだけに目を向けるのではなく、大宇宙を治められる神様の聖なる御心を、正しく奉じるようにしましょう。神様が準備された永遠の世界へ全人類が進み出て行けるよう、最高であられる神様から申し付けられた最高の仕事に、さらに熱心に取り組んでいきましょう。
神様が下さった御言葉は、世々限りなく存在する最高の御言葉です。世間の人々はゲーテが何と言った、ヴォルテールが何々と言った、ソクラテスがこんなことを言ったなど、名士たちの言葉を重視していますが、神様の御言葉は地上だけではなく、宇宙全体の中で最高の教えです。
私たちが今身を置いている教会が、最高であられる神様が立てられた教会であり、私たちが学んでいる真理が、全宇宙で最高であられる神様が下さった最高の教えです。ですから、毎日御言葉に耳を傾け、その中から知恵と知識を得なければなりません。また、御言葉を聞くだけでなく、実行することで、御言葉どおりの人生を生きていく、シオンのすべての家族になられることを祈ります。
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではな。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。 マタ7:21
神様の御心に従って実践する者が、永遠の天国に入ることができます。サタンは人々が天国へ行けないように、数多くの防害要素を作りました。天国に行く道は、神様だけがご存知です。神様の方法と指示に従わなければ天国に至ることができないので、父の御心を正しく知り、正しく実践する者が、永遠の天国に行くことができると仰せになりました。
最高であられる私たちの神様は、天の子どもたちが、天の父と母の御心を正しく奉じて、天国に来るための最適な道を、聖書の中に収めておかれました。しかし、天にも地にも地の下にも、この本を開いたり、見たりできる者が誰もいないとあります(黙5:1-5)。読みさえすれば、著者の言わんとすることが把握できる他の書物と違って、聖書は人がいくら読み、研究しても、容易に理解することができません。天の王の系統を引く祭司たちが学ぶべき内容が記録されているため、むやみに近寄ることができないように、神様は最高の保安装置を聖書に設置しておかれました。最高であられる神様が、最高の御計画と御心を収めておかれたので、3次元的な人間の知恵と知識では、この御言葉を知る手立てがありません。目で見ているのに見えない神秘的な本が、まさに聖書なのです。
人が見ても見ることができず、心で思い描くこともできない聖書の秘密を、天の子どもたちに知らせてくださるために、神様が肉体をまとって、この地に来られました。神様がわたしたちにその道を示されるという預言通り(ミカ4:1-2)、御自ら来られて、私たちに最高の教えを下さいました。
この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。 黙22:18-19
神様が教えてくださった教え以外、他の道は私たちを救いに至らせることができないので、この御言葉に付け加えたり取り除いたりしないようにと言われました。この教えに、誰かが例外の規定を作るなら、その人は天から除外されるしかないでしょう。聖書のすべての教えは、神様が私たちのために開いておかれた「天国へ行く道」だということを肝に銘じて、左や右へと横道にそれず、天の父と母が導いてくださる道に従って、永遠の天国に必ず到達できるようにしましょう。私たちに永遠の命の御言葉を下さって、御言葉の中で生きていけるようにしてくださったエロヒム神様に、もう一度感謝をささげます。
神様が全宇宙で最高であられることを信じる人は、神様の教えを決して疎かにしません。神様が最高の神だという事実を正しく認識した時、私たちという存在も、私たちが今歩いているこの道も、どれほど偉大で価値があるものなのか、改めて感じることができるでしょう。
あなたの民は皆、主に従う者となり/とこしえに地を継ぎ/わたしの植えた若木、わたしの手の業として/輝きに包まれる。(口語訳:わが栄光をあらわすものとなる。)最も小さいものも千人となり/最も弱いものも強大な国となる。主なるわたしは、時が来れば速やかに行う。 イザ60:21-22
聖書の御言葉は、全知全能の神様が私たちの未来を見通され、私たちの未来の幸せのために下さった教えです。その中で私たちは神様の国に永遠に住まう、最高の価値ある存在として創造されています。神様の御手で直々に造られた民たちが、神様の栄光を現すと言われましたが、彼らが果たしてどのように造られるのか調べてみましょう。
除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。イエスは言われた。都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緖に過越の食事をする」と言っています。』」弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。…一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。 マタ26:17-19、26-28
過越祭のパンを下さりながら、『わたしの体』と言われ、過越祭のぶどう酒を渡されながら、これは『わたしの血、契約の血である』と言われました。永遠の命をお持ちの神様の肉を取って食べさせ、神様の尊い血を流して飲ませられながら、私たちに永遠の命を約束してくださいました。このように神様は、新しい契約によって、子供たちを誕生させられました。『わたしの手の業』とおっしゃったように、最高であられる神様の肉と血を入れ込み、最も完全な作品を作られたのです。
だから、あの者どもの中から出て行き、遠ざかるように』と主は仰せになる。…わたしはあなたがたを受け入れ、父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。』全能の主はこう仰せられる。」 二コリ6:17-18
コリントの信徒への手紙二を記録した使徒パウロは、過越祭を守って安息日を守った、新しい契約の内にいた聖徒です。ここでも『あなたがたを受け入れ、父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる』という全能の神様の御言葉に出会うことができます。最高であられる神様の御手で造られた最高の作品が、まさに天の子どもたちです。
イスラエルを乳と蜜の流れるカナンの地に入らせられる前段階でも、神様は荒れ野で彼らに神様の掟を守る訓練をさせられました。六日間はマナを降らせてくださり、七日目の安息日には下さらず、その代わりに六日目の日に、次の日に必要な分まで、倍の量を降らせてくださいました。こうして40年間イスラエルの民は、『安息日を心に留め、聖別せよ』という神様の御心を生活の中で学び、カナンの地に入って行くことになったのです。
過越祭も同様です。神様は御自分の民に過越祭を聖別して守らせることで、彼らを救われましたが、守らなかったエジプトの人々は懲らしめられて、エジプトのすべての神々に厳しい罰を下されました。このような事実がイスラエルの民の脳裏に深く刻みつけられました。カナンに入る直前にも、過越祭を聖別して守り、その地に入ることができるようになさいました。
神様の掟をすべて教え、民たちがカナンの地に入るよう導かれたように、私たちもこの地で、神様が与えてくださったすべての教えに忠実に従って、永遠の天国に十分に入れるようにならなければなりません。最高の神は神様であられ、最高の御言葉は神様の御言葉であり、最高の職分はまさに様の息子、娘になることです。また、神様が模範を示してくださった、この世で最も価値ある仕事は宣教です。神様は私たちを王の系統を引く祭司してくださり、永遠の天国を相続させるために、天国の息子と娘たちだけができる宣教の道をお許しくださいました。
最高のものを手にする過程には、楽なことばかりあるわけではありません。しかし、神様の御心を行う人を、神様はいつも力づけてくださいます。それで、多くの困難の中でも我々神様の教会が、今日サマリアの全土と地の果てまで、全世界に福音を宣べ伝えることができるようになったのです。
私たちは神様の御言葉を信じています。神様の御言葉通りにすれば、地上のあらゆる国民にはるかにまさった者となることでしょう。神様が「ナンバーワン」であられるからです。神様の御言葉より尊い教えはなく、神様より偉大な師匠はいません。神様の御言葉は、この地で生きていく上でも必ず必要ですが、この御言葉を通じて、永遠の天国へ進むことができるという事実を肝に銘じながら、神様の御言葉であれば、小さいものでも疎かにせず、どこに導いて行かれても従って、神様の人として毎日、毎月新たに生まれ変わり、変化するように願います。
私たちの神様は最高です。最高であられる神様が、最も愛される最高の子どもとして、自負心とプライドを持ちましょう。束の間しか存在しない、この地のことだけに目を向けずに、永遠のことを考えながら、聖書の教えに従って、天の父と母の教訓に従順に従っていく中で、永遠の天国に必ず到達する、天の家族の皆さんになられるようお願い致します。