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代贖物(贖いの代価、身代金)

669 照会

果たして、サタンの計画通りに、イエス様は罪を犯した霊たちを救われようと、御自分から地に下りて来て、肉体をまとわれ、罪を犯した霊たちの罪の価として、御自らその体を贖罪の献げ物としてくださったのである。「罪の支払う報酬は死」と言ったので、罪を犯した霊を救うには、罪を犯していない完全な義人が、不義な者に代わって死ななければ救うことができない。昔の法では、罪人一人を解放するには、代わりにその人が死ぬことになっている(王上20:42)。 「天使の世界から来たお客さま」の「第13章 最初のアダムと最後のアダム」本文の中から

1.単語上の意味

贖いと翻訳されたギリシャ語「リュトロン」は、奴隷や捕虜を解放するときに支払う身代金(贖い金)を指す言葉です。

2.歴史の中で学ぶ贖いの理(王上20:1-43)

北イスラエルのアハブ王の時代、アラムの王ベン・ハダドの軍隊と戦争をしました。アラムの王は、彼と同盟を結んだ32人の王たちと一緒に、軍を率いて上って来て、サマリア(イスラエルの首都)を包囲して降伏を要求したが、アハブ王とイスラエルは決戦を覚悟し戦争に臨みました。

その時、神様の預言者が王の前に進み出て、神様がアラムの軍隊をイスラエルの手に渡すという(アラムの軍隊にイスラエルが勝つようにされるという)事実を知ったイスラエルは、この戦いで大勝利を収めました。

敗走したアラムの王は自らを慰めながら『イスラエルの神は山の神だから、彼らは我々に対して優勢だったが、私たちがもし平地で戦かったら、必ず我々の方が優勢になる』といって戦力を補充し、明くる年、再び戦争を引き起こしました。

一方、イスラエルも明くる年に、アラムの軍隊が必ず攻撃してくるという預言者の助言を受け入れて、熱心に軍備を拡充していました。しかし、実際、敵と対峙した時『イスラエルの人々は、二つの小さな山羊の群れのように陣を敷いたが、アラム軍はその地に満ちていた』(王上20:27)という表現のように、軍事力では遥かに劣勢状態にありました。

イスラエルの王の前に進み出た神様の預言者は、再び神様の御心を伝えました。「主は山の神であり、平野の神ではない」という彼らを、イスラエルの手に渡したと。神様が共におられるイスラエルの軍隊は大勝を博し、アラムの王はイスラエルの王アハブに生かしてくれるよう懇願するしかありませんでした。アハブは、自分をおだてるアラム王の言葉に思い上がって、神様がイスラエルに渡されたアラム王と彼の軍隊を解放してしまいます。

しばらくして、神様の御言葉を受けた預言者は、戦争で負傷した軍人に変装して、包帯で目を覆ったままアハブ王の前に進み出ました。

「僕が戦場に出て行きますと、ある人が戦列を離れて一人の男をわたしのところに連れて来て、『この男を見張っておれ。もし逃がしたら、お前はこの男の命の代わりに自分の命を差し出すか、銀一キカルを払え』と言いました。ところが、僕があれこれしているうちに、その男はいなくなってしまいました。」

この言葉を聞いていたアハブ王は、その内容が自分のことであるとも知らずに、勇敢に言いました。

「お前の裁きは、お前が自ら決定したとおりになるはずだ。」

死ぬべきアラムの王を解放したイスラエルのアハブには、次のような神様の御言葉が言い渡されました。

「わたしが滅ぼし去るように定めた人物をあなたは手もとから逃がしたのだから、あなたの命が彼の命に代わり、あなたの民が彼の民を代わる。」

このように贖いとは、死ぬべき罪を犯した人を生かすために、罪を犯していない他の人が代わりに死ぬことを意味します。

3.贖いの献げ物になられたキリスト

旧約時代、イスラエルの民が罪を犯した時、獣をほふって血を祭壇に振りまくことで、罪が贖われた歴史は、新約時代、キリストがすべての贖いの献げ物の実体になられ、自分を差し出して下さり、血を流されることで人類の罪を贖われることに対する写しでした。

今、その血を信じて、彼の教えに従うすべての人は、キリストの贖いにより罪に定められず、完全な救いに至ることでしょう。

人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金(口語訳:あがない、新改訳:贖いの代価)として自分の命を献げるために来たのと同じように。 マタ20:28、マコ10:45

死ぬしかない罪を犯した人類を生かすために、御自分の命まで惜しまれなかったイエス様の崇高な愛は、天の子供たちの胸の中に刻まれて、永遠に忘れられることはないでしょう。