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「神様の教会」では、他の教会で守らない安息日、過越祭を重要視して守っていますね。特別な理由がありますか?

307 照会

祭りを定め、守りなさいと命じられた方は神様です。神様が立てられた法の中で、私たちの救いと関係がなかったり、意味がないものは一つもありません。聖書に記録された祭りも、私たちの救いと密接な関係があります。

祭りを立てられた理由

私たちはすべて天で罪を犯してこの地に追い出されてきた罪人です。この世に生まれた以上、誰も避けることができない「死」は罪の代価として与えられた刑罰の結果です。

罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。 ロマ6:23

神様は天の罪のために死ぬしかない罪人たちを生かすために、十字架で尊い血を流され、人類の罪の身代わりに亡くなられることによって、御自分の大きな愛と御力を現されました。神様の祭りには、そのようなキリストの犠牲と愛を覚えて、私たちを永遠の天国に導かれる神様の御力を記念する意味が込められています。

この世の中で人生の根本も知らぬまま生きていく魂たちが霊的な理を悟って、救いの道に進むようにすることが、神様が祭りを定められた目的です。

神様の祭り

神様の祭りには、週間の祭りとして七日目の安息日があります。また毎年守る年間の祭りとして過越祭、除酵祭、復活祭(初穂祭)、五旬祭(七週祭)、角笛祭、大贖罪日、仮庵祭などがありますが、この7つの祭りが3次に分けられ組職されています。これをまとめて「3次の7つの祭り」と呼びます(レビ23章)。

「3次の7つの祭り」は、モーセの行跡により立てられました。イスラエルの民がエジプトで奴隷生活をしていた時代、神様はモーセを指導者として立ててイスラエルの民を解放させてカナンに導かれました。出エジプト時から約一年間に行われたモーセの行跡は、各々の祭りの由来になりましたが、これは将来救い主として来られるイエス様が神様の民を罪悪の世の中から解放させ、天のカナンに導かれるまで行われる救いの御業をあらかじめ見せてくださったものです。(ヘブ3:2-6)

霊と真理をもってささげる礼拝

旧約時代には、定められた祭りの掟に従って、羊や山羊のような獣をいけにえとして屠り、その血で祭祀をささげました。イエス様が霊的な祭祀である「新しい契約の祭り」を立ててくださった新約時代からは、霊と真理による礼拝で祭りを守っています(ヨハ4:24)。

過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい 」と言われた。…二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。 …それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。 ルカ22:7-20

イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。 ルカ4:16

イエス様は、御自ら新しい契約の祭りを守る模範を示してくれました。私たちは、イエス様の教えどおり、 霊と真理の礼拝をささげることによって、祭りを守る神様の民として約束された祝福を受けています。

シオンを仰ぎ見よ、我らの祝祭の都を。あなたの目はエルサレムを見る。それは安らかな住まい/移されることのない天幕。その杭は永遠に抜かれることなく/一本の綱も断たれることはない。まことに、そこにこそ/主の威光は我らのために現れる。…都に住む者はだれも病を訴えることはない。都に住む民は罪を赦される。 イザ33:20-24

大部分のクリスチャンは、自ら神様の民だと自負していますが、神様は救われる聖徒たちを祭りによって区分されます。

神は御自分の民を裁くために/上から天に呼びかけ、また、地に呼びかけられる。「わたしの前に集めよ/わたしの慈しみに生きる者を/いけにえを供えてわたしと契約を結んだ者を。」 詩50:4-5

ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である。 黙14:12

神様の祭りを守る者を聖徒と呼ばれたように、神様の祭りを守らなくては決して救いの群れに入ることができません。日曜日の礼拝、クリスマスなどの人が任意に作った祭りではなく、神様が命じられた通りの祭りを守り行ってはじめて救いに至ることができます。これが私たちが祭りを聖別して守る理由です。