​親不孝者の涙​

韓国ソウル / チェ・ヨンジン

7,897 回視聴

私が小学生だった頃に父が亡くなり、母は息子一人、娘三人を女手一つで育てました。 明け方になると、チャガルチ市場で魚を箱単位で買ってきては、町で小売で販売するなど、母はやったことのない商売はないというほど、あれこれ手当たり次第に働きました。

母はいつも夜遅く帰ってきたので、一番上の姉と二番目の姉が家事を担当し、私と弟の世話をしてくれました。姉たちの雑用係りは弟だったので、三番目の私は特にすることがありませんでした。そのため生活の厳しさを直接感じることもなく、遊んでばかりいました。

ある日、母が私を呼んで「足が痛いから、ちょっと揉んでほしい」と言いました。私は面倒くさくて、揉んであげるふりだけして、すぐにやめました。母は「もう、おしまい?もう少し揉んでくれないかしら」と言いましたが、私はしかめっ面のまま適当に揉んでから部屋に入ってしまいました。

数日後に母がまた私を呼び、足を揉んでほしいと言いました。私は、火を吹いたように怒って「私だってきついんだからできない!」と叫んで部屋に入ってしまいました。それ以来、母は私に足を揉んでほしいとはいいませんでした。代わりに、空き瓶を使って足をマッサージしたり、足の裏を床に叩きつけたりしながら、むくんだ足を自分でほぐしていました。

ところが、私が当時の母の年になってみると、私も足がよくむくみ、長く立っていた日には、夜はぐっすり眠れません。そういう時は夫や子供たちを呼びつけて足を揉んでほしいと頼みます。ある日、中学生の息子が私の足を丹念に揉んでくれる姿を見ながら、涙が出てきました。「お母さんも、こんなに足が痛かったんだろうな、私よりもずっときつかったんだろうな」と思うと胸がとても痛みました。そして、一度も足を気持ちよく揉んであげられなかったことが、心から申し訳なくなりました。

先日、膝の軟骨手術を受けた母の両足をそうっと撫でながら、昔の話を持ち出しました。母は「そんなことがあったっけ?」と、記憶にないと言いました。あの時小さな手でもいいから、母のガチガチに凝り固まった足を揉んであげていたら、どんなに良かったことでしょう。母は憶えていないといいますが、何も知らない幼い子どもだったから仕方なかったというにはあまりにも恥ずかしい胸痛む記憶を、私は忘れることはできないでしょう。