
幼い頃、「大人になっても、絶対に事業家にだけはならない」と心に誓った。父の影響だった。事業家だった父は、とても忙しく、顔を合わせる時間もほとんどなかった。出張が多く、出張のない日にも取引先との食事の約束があって、家族全員が集まって食事を共にした記憶はほとんどない。
たまに家にいたとしても、父はいつも電話中だった。通話が終わると、また別の電話がかかってくるため、時には何時間も受話器を握ったままだった。父が家にいてもいなくても不満だった私は、母に文句を言った。
「パパったら、仕事ばっかり!」
「ウェイウェイのために、一生懸命働いていらっしゃるのよ。」
私は母の言うことが理解できなかった。父は家庭よりも仕事が重要だと思っているに違いないし、自分が好きで事業を始めたものと思いこんでいたから。
父が、私のように内向的で、多くの人の相手をする仕事が、実は苦手だということを、後になって知った。ビジネスの話が延々と続く食事より、静かな場所での読書や散策をより好んだが、母の言うように、娘を何不足なく育てるために、性に合わない職業を甘んじて受けいれたのだった。
そう考えてみれば、私の幼い頃の生活は恵まれていた。父は私を非常に大事にし可愛がってくれ、良いものだけを与えようとしてくれた。いくら忙しくても、私に何かしてくれる時は、いつも最善を尽くしてくれた。私が大丈夫だと言うと、父は優しく語った。
「お前は、パパのたった一人の大事な娘なんだ。お前は、パパの全てなんだよ。」
しょっちゅうではなかったが、たまに一緒にいる時には、あれこれと教訓的な話もしてくれた。父の唯一の願いは、ただ娘が正しく育ち、幸せに暮らすことだった。
私が父の愛に包まれ大きくなるにつれ、父はだんだん弱っていった。事業家として、父はハードで不規則な生活をしていた。たまりにたまった疲労が元で、父は健康を害するようになった。運動を楽しみ、丈夫な体格の父だったが、今では体が非常に弱まり、薬を服用している。もしかしたら、自分の全てを、娘のために差し出したからかもしれない。
天の父も、ひたすら子どもたちのために、苦痛に満ちた犠牲の人生を歩まれた。天の栄光と天での安らぎを捨てられ、全ての苦難をたった独りで背負われた。そのおかげで、私は自分が犯した罪によって失った天の国を、もう一度夢見ることができるようになった。今、私が生きている毎日は、そんな天の父の愛と犠牲によって実現したものだ。
私は未だに、天の父の愛をすべて悟ることができずにいる。天の父のおかげで、今日の私があることを胸に刻み、悔い改めの人生を生きていきたい。