信仰の競技

6,433 回視聴

ほとんどのスポーツ競技は、終了を知らせるホイッスルが鳴るまで、はっきりとした勝敗は分からない。序盤にリードしていると思っても、持久力不足で序盤の勢いが続かず、あっけなく負けてしまうこともあれば、もう負けるものと思っていたのに、あきらめずに頑張り、闘志と集中力を発揮して逆転勝ちを収めたりすることもあるからだ。スポーツファンの記憶に残る感動的な場面は、だいたい競技終盤に生まれる。

聖書の預言の完成を目前にして繰り広げられている信仰の競技についても、やはり同じだ。今までよく走ってきたとしても、ややもすれば油断して勝利を逃すかも知れないし、逆に底力を発揮し、天が感動するほどの驚くべき結果を得ることもできる。

今までうまくやって来たにせよ、振るわなかったにせよ、これから先が重要である。監督の指示によく従い適切なプレイをして、最後を見事に飾り勝利を手にする選手のように、私たちも、魂の監督者である神様の教えに従って、最後まで最善を尽くしてみよう。そうしてこそ、神様が用意された命の冠が、本当に私のものになる。

あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。 一コリ9:24