
14か月の娘は、家の中のいくつかのボタンを押して反応を見るのを楽しんでいます。自分なりには達成感ややりがいを感じる電灯スイッチを押して、リビングに明かりがつくと明るく笑って手を叩きます。本当に気分がいい時は、「ダッ!」と言って自分なりの感嘆詞を叫んだりします。
一番好きなのは共同の玄関ドアと家の玄関ドアのドアロックボタンです。外出して帰ってくると、子供は私に抱かれて共同玄関の向こうから指を差し出しながらうんうんと泣き始めます。自分で直接ドアロックを押すという意味です。通りすがりの人がいない場合、私たちはドアの前に立って、子供が先に暗証番号を押すようにしてあげます。
子どもが勝手に押した番号で玄関のドアが開くはずがありません。何度も暗証番号を間違えると、やっと子供は私を見てぐずります。なんとかしてちょうだいと。私たちはパスワード4桁のうち3桁をあらかじめ押して、子供の指をつかんで最後の番号1つを押すようにします。そのようにして共同玄関のドアが開くと、子供は両腕を大きく広げて大きく手を叩きながら笑います。
家の玄関の前に立った子供はさらに期待する表情で暗証番号を押します。私たちはまた、パスワードをすべて押して、最後の「#」ボタン一つを子供が押すように指をつかみます。すぐに家の玄関のドアが開くと、子供はまた「ダ!ダ!」と叫びながら喜びます。
娘は、自分がドアを開けたという達成感にそれだけ喜んでいるのでしょうね。一万通りの番号で開かなければならない共同の玄関ドアと百万通りの番号で開くことのできる家の玄関ドアを、私たちの助けなしに自分の思い通りにしただけでは開けられなかったことなのに、ただただ嬉しがる姿が親としてはただ可愛いだけでした。天の父と母も私たちを見ながら、こんな気持ちではないでしょうか。
数多くの科学者や数学者が研究の末に下した結論を見れば「確実だ」という言葉よりは不確実な表現が多いです。いくらはっきり見えても「可能性が非常に高い」というだけで、確言はしません。こんな世の中で、私は愚かにも、私の計画は常に確実で完全であると考えてきました。一寸先も見ることができず、思い通りに立てた計画であるにもかかわらず、実現しなければ、それで失望するのに忙しかったのです。どうにか良い方向に事がうまくいけば私の努力と才能のおかげだと思って喜びました。
やっと、神様が私たちにどのように天国の門を開いてくださるのか、少しですが悟ります。何も知らない私がどうやって天国の扉を叩いているのかも。すべて私より先に進んで私の手を握って導いてくださる天の父と母のおかげです。
天の父と母に感謝します。今まで頑固な意地を計画だと言い張っていた私を静かに見守ってくださり、思い通りにならず駄々をこねながら祈った時、私の呼吸一つまで御自ら数えられ教えてくださり、神様の内に住まわせてくださることに感謝します。神様の計画で良い結実を得た時、私の力だと喜ぶ分別のない姿の私にも一番良いものをくださり感謝します。これからは神様が導かれる通り従順に従って感謝し、天国の門を開いて入城する子供になります。