懐かしさを慰める声

「左に曲がってください」
「直進方向です」
目的地への道をよく知っていながらも、いつからか目的地の住所をあえて入力し、ナビゲーションの案内を聞きながら運転し始めた。おそらく韓国語案内サービスが含まれたナビゲーションを車につけてからだと思う。
韓国を離れて海外で過ごした歳月が20年近くになるので、もう毎日生活するのに大きな困難はない。初めて定着した時は、朝目が覚めるやいなや、四方から聞こえてくる慣れない言語で、一日中頭が痛くなるほどだった。会話の内容が私が理解できる範囲から少しでも外れると、会話についていくために頭脳をフル回転させるのに忙しかった。それでもだめなら、頭のスイッチを切って理解することをあきらめる時もあった。
時間が経つにつれ、言語という壁を一つ越えたかと思ったが、考え方と文化の違いというまた別の壁に直面した。神様に向けられた信仰を中心として、相手を理解し包容しようと努力すると、外国人に接することもそれ以上難しいことだとは思わなくなった。
それでも道を歩いていて韓国語が聞こえたり、スーパーで韓国語の歌が流れたりすると、思わず足が止まった。嬉しさなのかときめきなのか、韓国語を聞くだけで胸がどきどきした。その時分かった。カーナビが必要ないのに、わざわざ音を大きくして運転した理由を。耳に入った短い韓国語に私の心が反応し、慰められていたのだ。韓国の地で運転中だという幸せな錯覚をして心の中の懐かしさを慰めていたようだ。
私たちより数千倍、あるいは何万倍、天の本郷を懐かしんでおられる天の母は、どんな音で天国への懐かしさを慰めていらっしゃるのだろうか。いくら長く生きても適応できないこの地で、一体どんなことで慰めを受けられるというのだろうか。何も完全な慰めにはならないが、おそらく子供たちの感謝と称賛と幸せな笑い声ではないかと思う。
天の母は、私たちがシオンに集まって神様に感謝と称賛をささげ、シオンの香りを分かち合いながら笑って喜ぶ姿を見る度に明るく微笑まれる。神様の内で互いに友愛する子供たちの姿が天の母の慰めになることを願う。
今日も感謝の言葉、ポジティブな言葉、勇気を与える言葉を声を出して発し、兄弟姉妹と美しい連合を成し遂げると誓う。天の母の懐かしさを少しでも和らげることができることを切に祈って。母の懐かしさを少しでも解放できることを切に祈りながら。