
数年前、妻が仕事上付き合いのあった出版社の社長を「わたしたちの母」文と写真展に招待しました。すでに神様の教会のことを知っていたという社長は、展示会を観覧しながら大きく感動して、聖書の御言葉も調べました。
後で分かったことですが、社長は神様を心から探し求めていた魂でした。青年時代、家に入った強盗と死闘しながら大怪我を負い、死の淵まで追い込まれたことがあったそうです。それをきっかけに、神様と死後の世界に関心を持つようになり、いろんな教会を訪ねてみましたが、これといった確信が持てる所は見つからなかったそうです。しかし神様の教会には真理があるようだと、地道に聖書の勉強を続けました。少しずつ真理に対する確信が固まりつつあった社長でしたが、予想外の家族の反対に遭い、神様の御前に進み出ることをためらいました。その頃私たち夫婦も海外宣教に発つことになり、長い間連絡が途絶えてしまいました。
昨年の秋、韓国に帰国してから、社長とまた再会することができました。私たちはそれまでの安否を尋ね合い、もう一度神様の御言葉を学んでみてはどうかと勧めました。次の約束をしてその日を待っている間に、秋の祭りがやってきました。私たちの祈りはいつになく切実でした。仮庵祭の時に天の母が「皆さん聖霊を授かったので、信じて伝えましょう。伝えてみれば、以前とは違っているはずです」とおっしゃったと聞き、社長も以前とは違って救いの祝福を必ず受け入れますように、と祈りました。
約束の日、社長はシオンに来て真剣に御言葉を調べました。勉強を終えてから、慎重に新しい命の祝福を受けることを勧めると、社長はまるで待っていたかのように「分かりました」と答えました。その一言で、それまでの緊張がゆるみ、深い吐息と共に目頭が熱くなりました。心から願っていたことが実現した瞬間、これが夢なのか現実なのか分からないくらいでした。
それまで消極的だった社長の態度は、その日以来一変しました。私たち夫婦が出国する前に贈った、「霊の世界に関する御言葉が書かれた本」を読み、気になる点が多かったと言いながら、御言葉を勉強したければいつでも訪ねて行っていいのか、誰かを連れて行ってもいいのか、礼拝はどんな風に行われるのかなど、いろいろ質問しました。その様子を見ていると、一体何が起こったのだろうと、今でも信じられません。
長い間待ち続けた末、神様の懐に一人の魂を導きながら、天の父と母のことを色々と考えました。神様は子どもの名前を手のひらに刻みつけられ、決してお忘れにはなりません(イザ49:15-16)。数年前までは、救いの祝福が目の前にあるにもかかわらずためらっていた社長が、足取りも軽くシオンに来て神様の子供として生まれ変わったのは、その魂を決して忘れず救いを受けるようにと切に願われた、天の母の愛があったからに違いありません。また、私たちに春の雨の聖霊をあふれんばかりに注いでくださった、父の御恵みがあったからです。そして、今さらながら悟りました。「伝えてみれば、以前とは違っているはずです」とおっしゃったその御言葉の中には、全人類の救いを願われる神様の切なる愛が込められているということを。その母の思いを胸に深く刻んで聖霊の火を消すことなく、一人の魂を生かすことに力を尽くしていきます。