神様の御心

韓国 龍仁 / パク・ドンミン

16,147 回視聴

「ミン、数日だけ家に帰って来れるかい?」

普段と違って緊張感さえ感じられる重い声の主人公は母親だった。兄と私が心配するかと思い、ほとんどのことは一言半句もしない母が突然電話をするなんて、ただならない何かがあるのは明らかだった。案の定、持病の椎間板ヘルニアが悪化し、激しい痛みの中で救急センターに運ばれてきたが、状態が好転せず、しばらく病院にお世話にならなければならないということだ。急いで休暇を取って実家に帰った。

病室に横になっている母の体の状態は予想よりはるかに深刻だった。座ることも立つことも歩くこともできず、横になるしかなかったし、食事も一人ですることも難しく、トイレさえ自由に行けなかった。少し動いただけでも痛そうにする母を見ると、ため息が自然に出た。

昼間は母の看病をして、夜は簡易ベッドで寝泊りした。暇さえあれば家に帰って掃除と洗濯、父の食事を簡単にでも準備しておくことも私の役目だった。一週間病室で過ごす間、母が申し訳なく思う気持ちが感じられた。

母の病院生活が長くなり、余裕ができるたびに兄と交代しながら両親の家に降りていった。母は、「もう一人でいてもいい」と強く断ったが、糖尿病もあり、心臓も良くないうえ、自ら立ち上がることさえできない患者を誰が放っておくことができるだろうか。

快方に向かず、複数の病院を転々とし、評判の良い首都圏のある病院に移った。そこの医者は手術を勧めた。体に刃物を当てることだけは避けたかったが、他に方法がなかった母は結局手術台に横になった。予想より一時間長くかかった手術の結果は成功だった。

徐々に麻酔から覚める母を見て、数ヵ月ぶりに初めて安心した。しかし、しばらくして、鳴り響いた携帯電話がその余裕を奪っていった。発信者は兄だった。

「父さん、現場で仕事中に足首の骨が折れて今入院している。身動きもできないそうなんだが、おまえがちょっと行ってみれるか?心配するから、母さんには言わないで」

片足にギブスをしたせいで服さえ一人で着替えられないのに、どうしても母には連絡できなかった父が兄に電話し、すぐには帰省できない兄が私に連絡したのだった。ちょうど休日を控えていたので時間が大丈夫だった。母には適当に言い繕って急いで家に帰って荷物をまとめた。

「なんで両親にこんなことが起きるの?」

暗くなった車窓の外の風景を眺めながら、父と母に対する心配で心が落ちつかなかった。しかし、正直に告白すると、両親のための心配だけが私の心を重くしたわけではなかった。心の中でより大きな比重を占めたのは両親の病魔と事故によって私に与えられた不便と苦労だった。実家までは車で3時間の距離。遠くはなかったが、頻繁に行き来するほどの距離でもなかった。遠くはなかったが、頻繁に行き来するほどの距離でもなかった。休日を返上して帰り、疲れた体で看病することを繰り返し、心はいつの間にか疲れていた。

物思いにふけっているとふと、ずいぶん前に読んだ聖書の一節が思い浮かんだ。

主の慈しみは深く/懲らしめても、また憐れんでくださる。人の子らを苦しめ悩ますことがあっても/それが御心なのではない。 哀歌3:32-33

神様は私たちが罪のとがを脱ぎ捨てることができるように、人生の道に苦難と試練の過程を準備しておかれた。親として子供たちの苦痛を見守ることより他に大変なことはないだろう。しかし神様は一時の試練を通じて皆が変化し、完全に生まれ変わることを切に願って待っておられる。

今私に与えられた状況もその過程の一部だろう。考えがそこまで及ぶと、ぐったりとした気持ちがぱっと明るくなった。初めての入院にぎこちない父を慰め、あれこれ世話をしながら、久しぶりに親子で会話も交わし、蒸しパンや白菜チヂミのようなおいしいおやつも買って食べた。両親の心は本当に同じようだ。父も母のようにとても申し訳ないという思いを見せ、また感謝していた。二人が私に注いだ苦労と誠意に比べれば何でもないのに。

私たち家族に起きた一連の出来事が何の意味もない夕立のようなものではなく、霊的な恵みの雨になることを心から願った。望み通り、そのすべてのことには神様の御心が隠されていた。まず、母は数十年間苦しめられていた腰の痛みがほとんど治り、複数の病院を転々としながら体質に合う薬を処方され、糖尿病も好転した。数ヵ月間、病床で横になりながら悟った神様の愛は、母親にとってこの上なく貴重な贈り物だった。

「私はしばらくの間、病気になりながらも世界中が崩れていくようだったが、今まで私たちのために苦労された天の母はどれほど苦しんでおられただろうか。いつも子供たちの前では微笑んでおられるから、お元気で楽に過ごしておられるのだと思った。私も子供を持つ母親なのに、母の気持ちがよく分からなかった」

母と同じくらい父の悟りも大きいようだった。健康だけは自負していたが、父も鉄の足腕ではないことを、人の将来は断言できないことを感じたのか、体に有害な習慣を減らし、教会に足を運ぶ回数も増やし、神様にもっと近づこうと努力した。

私も得たものが少なくなかった。両親のための小さな苦労さえ大変だと思っていた親不孝者の姿を反省し、これからは口だけでなく行動で親孝行すると決心し、誓いを実践しながら両親との関係がさらに睦ましくなった。試練と苦難を見つめる観点が変わったこともまた、私の魂にくださった恵みであり祝福だった。

足りない子供たちのために、学びと悟りの過程を細々と準備された神様に深く感謝をささげる。再び大変な状況が訪れるなら、その時は何を悟るかから考えてみなければならない。それが神様の御心だろうから。