イエス様の弟子たちが霊に取り憑かれた子供を直そうとするが、容易ではない。このことで書記官たちと弁論が起きていたところ、弟子たちがイエス様を見つけてそちらに駆けつける。群れもイエス様の周りに集まってくる。
「あなたたちは何を議論しているのか?」
その時、一人が前に出る。
「先生、霊に取りつかれた私の息子を連れてきました」
子供は幼い頃から一度発作を起こすと、自分の意志とは関係なく火や水に飛び込んで命が危険なことが多かった。子供の父親は弟子たちに霊を追い出してほしいと頼んだが、子供の状態が変わらないとイエス様に懇願する。
「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください」
「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる」
イエス様の言葉に、驚いた彼が大声で叫ぶ。
「信じています。信仰のないわたしをお助けください」
イエス様がすぐに子供の体の中の霊を追い出され、死んだように横になっている子供の手を取って起こされる。子供が元気に立ち上がる。
「できれば」は不可能を念頭に置いた言葉だ。子供の父親はある程度、信仰があったのでイエス様を訪ねてきたが、思わず半信半疑であった内心を表わしてしまった。
イエス様の御言葉を聞いてから、自分が二つの心を持っていることに気づいた彼は、直ちに自分の足りない信仰を満たしてほしいという助けをまず、求めた。彼の望みはすぐに成し遂げられた。
切実に望むことがあれば、神様がそのことを成し遂げてくださると信じる心が優先だ。懸念と心配に包まれて真の信仰を持つことが難しいならば、それもまた神様に助けを求めることだ。率直に信仰を告白し、確かな信仰を持とう。信じる者には何でもできる。