「系統」と訳された「タクシス」の意味
「系統」は、一定の順序を追って続いている、統一のあるつながりを意味します。
ギリシャ語原語では、「順序、順番」という意味の「タクシス」と記録されていますが、聖書ではこの言葉が、特定の職務を行う身分の順序を指す場合に使用されました。そのため、日本語では文脈によって「当番、組、班、位」などと訳されています。
さて、ザカリアは自分の組が当番(タクシス)で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、 ルカ1:8
祭司以外にも門番、見張り等のような務めにも「タクシス」という用語が使用されています。同一の務めを数人が順序を決めて行う時、それを「タクシス」と表現したのです。
更に彼は、父ダビデの授けた規定に従って、祭司たちを組(タクシス)に分けてその任務に就かせ、またレビ人たちをその任務に就かせて、日ごとの定めに従って祭司の傍らで贊美し奉仕させ、門衛たちもその組(タクシス)によってそれぞれその門に立たせた。神の人ダビデがそのように命じていたからである。 代下8:14
アロンの系統とメルキゼデクの系統
いろいろな「タクシス」の中で私たちが特に知るべきものは,祭司の系統です。なぜなら、祭司の務めが私たちの罪の赦しに関連しているからです。
聖書に登場する祭司の系統は大きく2種類、すなわちアロンの系統とメルキゼデクの系統に分けられます。モーセの兄であるアロンは、旧約時代モーセの律法が制定された後、初代の大祭司になりました。「アロンの系統」は旧約時代、羊や牛のような動物の血を流して祭祀をささげる祭司職を表す表現です。
メルキゼデクは、モーセの律法が登場するよりもはるか以前に、パンとぶどう酒でアブラハムに祝福した神様の祭司であり、新約時代に過越祭のパンとぶどう酒で罪の赦しの祝福をお許しくださったキリストを前もって表す人物です。それゆえ、「メルキゼデクの系統」は新約時代の祭司職を表しています。
聖書は、旧約時代のアロンの系統の祭司制度が不完全であるので、新約時代にメルキゼデクの系統の祭司制度が登場したと記録しています。
ところで、もし、レビの系統の祭司制度によって、人が完全な状態に達することができたとすれば、――というのは、民はその祭司制度に基づいて律法を与えられているのですから――いったいどうして、アロンと同じような祭司ではなく、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられる必要があるでしょう。 ヘブ7:11
メルキゼデクと同じような祭司とは、メルキゼデクの系統の祭司を意味します。メルキゼデクの系統の祭司職は完全なだけでなく、永遠であり決して変わることはありません。
イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じような大祭司となられたのです。 ヘブ6:20
また、レビの系統の祭司たちの場合には、死というものがあるので、務めをいつまでも続けることができず、多くの人たちが祭司に任命されました。しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。 ヘブ7:23-24
メルキゼデクの系統の大祭司として来られたイエス様
メルキゼデクの系統の祭司職とは具体的にどのようなものでしょうか?
それを知るためには、まずメルキゼデクについて知る必要があります。
アブラムがケドルラオメルとその味方の王たちを撃ち破って帰って来たとき、ソドムの王はシャベの谷、すなわち王の谷まで彼を出迎えた。いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクも、パンとぶどう酒を持って来た。彼はアブラムを祝福して言った。「天地の造り主、いと高き神に/アブラムは祝福されますように。敵をあなたの手に渡された/いと高き神がたたえられますように。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に贈った。 創14:17-20
メルキゼデクが登場した時代は、アベルの祭祀以来、動物の血を流して祭祀をささげる方法が一般的でした(創8:20、創15:9-10)。ところが、他とは異なりメルキゼデクはパンとぶどう酒でアブラハムを祝福し、祝福されたアブラハムは彼に十分の一を奉献しました。
これは単に過ぎ去った歴史ではなく、将来成就されるべき預言です。ダビデは、将来メルキゼデクの系統の祭司が登場することを預言しました。
主は誓い、思い返されることはない。「わたしの言葉に従ってあなたはとこしえの祭司メルキゼデク(わたしの正しい王)。」 詩110:4
主は誓いを立てて、み心を変えられることはない、「あなたはメルキゼデクの位(タクシス)にしたがって/とこしえに祭司である。」 詩110:4(口語訳)
メルキゼデクの位、メルキゼデクの系統の祭司であれば、メルキゼデクのようにパンとぶどう酒で祝福してくれる祭司であるべきです。イエス様は過越祭のパンとぶどう酒で、罪の赦しと永遠の命の祝福をお許しくださり詩編の預言を成就なさいました。
除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緖に過越の食事をする」と言っています。』」弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。…一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飮みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。 マタ26:17-19、26-28
イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飮まなければ、あなたたちの內に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飮む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。 ヨハ6:53-54
新しい契約の仲介者
メルキゼデクの系統の祭司制度に従い、パンとぶどう酒で罪の赦しと永遠の命をお許しくださったイエス様は、過越祭を新しい契約として立ててくださいました。
イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。…それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。 ルカ22:15、19-20
メルキゼデクの系統の祭司制度は、新しい契約の過越祭を通して祝福を祈ってくださる祭司職です。それで、メルキゼデクの系統の大祭司であられるイエス様を「新しい契約の仲介者」とも表現しました。大祭司の務めは、罪人である民と聖なる神様との間の仲介を行うことなので、大祭司を仲介者とも表現しますが、特に新しい契約の仲介者であられると強調したのです。
今述べていることの要点は、わたしたちにはこのような大祭司が与えられていて、天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き、…しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定された、更にまさった契約の仲介者になられたからです。もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。「『見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、新しい契約を結ぶ時が来る』と、主は言われる。 ヘブ8:1、6-8
こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の購いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。 ヘブ9:15
過越祭を守る神様の教会
今日、大多数の教会は、メルキゼデクの系統の大祭司として来られたイエス様が御自ら新しい契約として制定された過越祭を正しく守っていません。各教団では勝手に定めた日に聖餐式を行っています。
過越祭を守ると言われ、過越祭を守りたいと切に願われた方はイエス様です。ですから、イエス様の教えを受けた使徒たちは過越祭を大切に守りました(一コリ5:7-8)。このような過越祭を守らない行為は、メルキゼデクの系統の大祭司であられるキリストに背くことに他なりません。
キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。 ヘブ5:8-10
アブラハムの時代、多くの祭司がいてもパンとぶどう酒で祝福した祭司はメルキゼデクだけでした。イエス様の時代にも、多くの祭司が動物を屠って祭祀をささげましたが、イエス様だけが過越祭のパンとぶどう酒で永遠の命の祝福を祈ってくださいました。今日もイエス様を信じる教会は多くありますが、過越祭の新しい契約で永遠の命の祝福を受けられる所は、再臨のキリスト安商洪様が建てられた神様の教会しかありません。
イエス様が「メルキゼデクと同じような大祭司、メルキゼデクの系統の大祭司」であられることを本当に信じるならば、イエス様が模範を示された通りに、新しい契約の過越祭を守らなければなりません(ヨハ13:15)。