聖書は人を義に導く訓練をするのに有益な本として(二テモ3:16)、神様の道を教えています。また、多くの紙面を割いて義人や悪人について教えています。聖書で悪人とは神様を畏れる心がなく、神様が命じられた戒めと掟と法に従わない人です。神様に背いた悪人たちには終わりの日に審判と刑罰が予定されています(二テサ1:7-9)。
神様は最後の聖霊時代にこの地に再び来られて神様の道を親しく示してくださることで、悪人の位置にあった人生が罪のないものとされ、義に生きていける道を開いてくださいました。誰でも神様が教えてくださったその道に沿って歩めば、霊的世界で正しい人と認められ、救われることができます。
聖書は神様の道を行うか、行わないかで義人と悪人を区別しています。
知恵ある者はこれらのことをわきまえよ。わきまえある者はそれを悟れ。主の道は正しい。神に従う者はその道に歩み/神に背く者はその道につまずく。 ホセ14:10
神様の道は正しく、誰でも行うことはできません。ただ神様に従う者であってこそ行うことができ、罪人、すなわち悪人はその道を経て倒れ絶対に行うことができないのが神様の道です。
聖書は世の中に正しい人は一人もなく、罪がないと言う者たちは皆偽り者だと言いました(ロマ3:10、一ヨハ1:8)。罪人は決して天国に入ることはできません。
言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」 マタ5:20
このようなイエス様の教えを通じても、義は天国に入れるかどうかを判断する重要な物差しになるという事実が分かります。
神様を信じなかったり、神様の掟を行わない世の中の数多くの人々は、神様の目から見て悪人の立場に置かれています。私たちも元々罪人で悪人の群れに属していましたが、今は神様の道に従って歩んでいます。神様の道を行うことで生まれ変わり、正しい人の仲間入りを果たしたのです。
過去には罪人だった私たちが天国に入るのに然るべき正しい行いをするようになったのは、私たちの義でできたのではなく、神様の律法があったからです。
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」 マタ7:21-23
イエス様は天国はひたすら神様の御心どおりに行う人々が入ると言われ、不法を行う者たちに「私から離れ去れ」ときっぱりとおっしゃいました。ここで「不法を行う者」を英語NIV聖書では「悪を行う者(evildoers)」、言い換えれば正しい人の反対である悪人だと称しています。
神様は神様の掟と法を行わない人々が「悪を行う」「不法を行う」とおっしゃいました。いくら御名によって預言し、御名によっていろいろなことを行ったとしても、彼らは神様とは関係のない悪人と見なされ、ただ神様の御心を行う者を正しい人だと認められます。世の中を生きていると、神様を信じる人々でさえ神様の戒めと掟と法に従うより、世の人の基準と観点に同化され、周囲の悪い環境に染まる場合があります。しかし神様は世の中の友になることは神様の敵になることだと言われました(ヤコ4:4)。私たちはすべての基準を神様に置いて神様の御心通りに行い、神様に義で正しいと認められなければなりません。まだ神様の道に完全に従えずにいる部分は何なのか自分を振り返り、御言葉をより完全に守り従う正しい人、天の完成品に変化しなければなりません。
わたしに聞け/正しさを知り、わたしの教えを心におく民よ。人に嘲られることを恐れるな。ののしられてもおののくな。彼らはしみに食われる衣/虫に食い尽くされる羊毛にすぎない。わたしの恵みの業はとこしえに続き/わたしの救いは代々に永らえる。 イザ51:7-8
正しさを知っている人たちは心に神様の律法があります。神様の律法を心の奥底に秘めて実行する者たちが正しい人と称される神様の民です。逆に神様の戒めと掟と法どおりに行わない人々は悪人の部類に属しています。いくら「主よ、主よ」と言って神様を熱心に信じる人々でも天国は決して彼らに許されません。
神様は御自分の民が善と悪を正しく見分けて、神様の義を行う正しい人として天国に至ることができるよう律法を与えてくださいました。聖書は正しい人が一人もいないこの世の中に、神様が直接来られて神様の道を教えてくださると預言しました。
終わりの日に/主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち/どの峰よりも高くそびえる。もろもろの民は大河のようにそこに向かい多くの国々が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから/御言葉はエルサレムから出る。 ミカ4:1-2
終わりの日に神様の道を教えられ、その道を歩む群れが登場すると言いました。彼らがまさにホセア書に預言された、神の道を行う正しい人ではないですか。神様が御自分の民が悪人の手綱から抜け出し正しい人の隊列に立つように「生きる道」を教え導いてくださったのです。
その教えに耳を傾け、そのまま歩む者たちが救いを得るので、神様は「救いをもたらせるために」御自分を待望している者たちに二度目に現れるとおっしゃいました(ヒ9:28)。終わりの日に来られて私たちに親しく教えてくださる神様の道について具体的に調べてみましょう。
見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。…すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。 そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。 エレ31:31-34
神様が新しい契約という神様の法の中で民の悪を赦してくださり、二度とその罪を心に留めないと約束されました。新しい契約は悪人たちの罪をなくして正しい人に生まれ変わらせる神様の道です。
神様は御自分の民の心に新しい契約の法を植え付けられました。罪人になった人生を放っておかれず、彼らの罪を全て代わりに贖ってくださって、神様の道を歩む正しい人に変えさせてくださるために新しい契約の真理を立ててくださったのです。
今日、多くの教会があり、海辺の砂粒のように多くの人が神様を信じていますが、新しい契約の過越祭と安息日など、神様の戒めと掟と法は守っていません。正しい人であってこそ神様の道を行うという御言葉に照らしてみると、まだ彼らは正しい人の隊列に至っていないのです。したがって、神様が正しい人と悪人を区別される時に悪人の位置に置かれるしかありません。
シオンを仰ぎ見よ、我らの祝祭の都を。あなたの目はエルサレムを見る。それは安らかな住まい/移されることのない天幕。その杭は永遠に抜かれることなく/一本の綱も断たれることはない。まことに、そこにこそ/主の威光は我らのために現れる。そこには多くの川、幅広い流れがある。櫓をこぐ舟はそこを通らず/威容を誇る船もそこを過ぎることはない。まことに、主は我らを正しく裁かれる方。主は我らに法を与えられる方。主は我らの王となって、我らを救われる。…都に住む者はだれも病を訴えることはない。都に住む民は罪を赦される。 イザ33:20-24
罪の赦しを受ける民たちが住む所がシオンです。祭りを守るシオンに共におられる神様は私たちの裁判長です。私たちに律法を与えられた方です。法廷で裁判長が国家で制定した法律を裁判の基準として判決するように、神様も御自ら立てられた新しい契約の律法を審判の基準とされ、これを通じて正しい人と悪人を区分されます。正しい人にしてくださるために立てられた法である新しい契約の掟に従わない者は、悪人の群れに分類され審判を受けるしかありません。
多くの人が漠然と最後の審判の日があると思い、その日に天国に行くことを願いながらも、新しい契約の掟ではなく不法に従っています。審判の日が近づいて来ていることを知りながらも、正しい人の身分を得ることができず、悪人の群れに属しているのです。
聖書は真理の道、新しい契約の律法を守り行う者だけが神様が用意された永遠の命の祝福と天国の嗣業を受け継ぐことになると証ししています。
こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。 ヘブ9:15
新しい契約の仲介者であられる方はイエス様です。神様が御自らこの地に来られて立ててくださった新しい契約を通じて、悪人の世界から救い出され正しい人として召された者たちが永遠の嗣業の約束、すなわち天国に入る祝福を受けることができます。
私たちは再臨のキリストであられる安商洪様と天の母から新しい契約の真理の道を教えられ、神様の戒めと掟と法を守り行っています。それによって神様に正しいと称され、罪の赦しと天国の嗣業を約束されました。これは私たちの知恵や能力でできたことではなく、天の父と母が私たちのすべての罪を赦してくださり、正しい人の位置に変えてくださったからです。
このような神様の恵みを悟ったなら、まだ神様の御心の中で生きられない周囲の人々にもこの命の道を知らせなければなりません。これが神様が最も望んでおられることです。
神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。 一コリ3:6
神様は悪の泥沼に陥っている人々が救われ永遠の天国に入ることができるように、私たちに新しい契約の働き手になって宣教に努めなさいと言われました。これを最も意味のある幸いなことだと思われたので、二千年前、イエス様も宣教のためにこの地に来られて(マル1:38)、この時代も天の父と母が世界中の子供たちを新しい契約の真理へ、正しい道へと導いておられいます。
主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。 二ペト3:10-13
新しい天と新しい地、つまり天国は正しい人たちが住む所です。神様が予定されたその日に悪人たちは刑罰を受け、正しい人たちには死も涙も苦痛もない、平和と喜びが日々新しく創造される天国が大きく開かれるでしょう。新しい契約の真理を守り従うことで、このような神様の約束の中に入っている私たちは、どれほど恵まれた人々でしょうか!
日々神様の道をより一層努力して行い、神様の義の中で生きていく正しい人として天国に入らなければなりません。また、全世界の数多くの人類が依然として悪人の隊列に属しているので、神様の審判が至る前に彼らにも正しいことを行う機会を提供しなければなりません。聞いても聞かなくてもまず、教えましょう。悪から抜け出し正しい人の世界に戻り、審判から抜け出して神様が用意された永遠の天国の救いを共に享受できるように、神様の道、新しい契約の福音を熱心に伝えましょう。
この世を生きていく中で、たとえ難しくて大変なことがあったとしても、神様の道を通じて私たちを救いの道に導いてくださったエロヒム神様の恵みに感謝を忘れてはなりません。楽しい気持ちで周囲の人々に熱心に福音の嬉しい知らせを伝え、新しい契約の働き手の使命を全うするシオンの家族になることを願います。