冬が過ぎ春が訪れる頃、イギリス全土でロックダウン(lockdown、都市封鎖)が実施されました。新型コロナウィルスのパンデミック(世界的大流行)によって、連日感染者と死者の数が増えているため、感染拡大を防ぐために講じられた措置でした。会社の業務も在宅勤務となり、普段は顔を合わせる時間が少なかった家族とも、一緒に過ごす時間が増えました。
初めはそれが、とても良いことのように思えました。ところが時間が経つにつれ、夫とぶつかることが多くなりました。気を遣わない相手だからという理由で、無神経に投げかけた言葉が互いを傷つけ合い、ある時は些細なことで言い合いになり、いつもより声を荒げてしまう事もありました。家の中には嫌な空気が漂っていましたが、努めて何でもないふりをし、「でも、私の方が正しいわ」と自分に言い聞かせながら窓の外を眺めていたのですが、いつの間にか日が沈みかけていました。その瞬間、数日前に映像説教で聞いた天の母の御言葉が思い出され、良心が痛みました。
「日が暮れるまで怒っていないで、日が暮れてしまう前に、謝ってみてください。自分が間違っていなくても、先に『ごめんなさい』と言ってみましょう。相手が『あなたが間違っているのではないのに、なぜ謝るのか?』と聞き返しても、『ただ、申し訳なくて』と言ってみてください。」
今こそ、この御言葉を実践する絶好のタイミングでしたが、私の自尊心は未だに「私の方が正しかった、私の過ちじゃない」と主張していました。天の母の御言葉の力で自尊心をグッと抑え込みながら、夫のそばに歩み寄りました。「ごめんなさい」と言うタイミングを掴もうと、夫の周りを行ったり来たりしていたのですが、何となくきまり悪くてためらっていました。そうしているうちに、日は西の方に傾いていました。この日に限って日が暮れるスピードがどうしてこんなに速いのか、気持ちは焦るばかりでした。夕日が完全に落ちる前になって、やっと口を開きました。
「…ごめんなさい。」
一旦、そう言ってみると、何をそんなに小難しく考えていたのかと思うほど、言葉がスラスラ出てきました。夫は自分の方が悪かったと言いながら、むしろ私に謝ってきました。私たち夫婦の様子をじっと見守っていた子供が、尋ねました。
「どうして急に、二人ともごめんなさいって言うの?」
「うん、相手に悪いことをしたと思ったら、日が暮れてしまう前に謝らないといけないのよ。」
それを聞いた子供は、次からは日暮れが近付くと、「早くゴメンねって言ったら?」と教えてくれます。
天の母の御言葉を実践してみると、なぜ日が暮れる前に謝りなさいとおっしゃったのか悟ることができました。自尊心を捨てて謙虚になり先に謝ってみると、ガチガチに固まっていた双方の心が春の雪が解けるように優しい気持ちになり、よりいっそう強まった家族の絆と愛が、私たちを完全に一つにしてくれたからです。
福音のために忙しくひた走っていると、気づかぬうちに兄弟姉妹を傷つけたり、傷つけられたりします。心の中に憎しみや恨みをべたべた引っ付けたままでは、天国に入ることは難しいでしょう。そういったアクシデントを予防する方法が、まさに日が暮れる前に「心から謝る」ということではないかと思います。日が暮れる前、まだチャンスが残されている間に、頑なな心と自尊心を捨て、先に歩み寄り謝って、兄弟姉妹と愛で一つになろうと思います。口ごもっているうちに福音の日が暮れてしまえば、悔い改める機会さえなくなってしまいますから…。