先に悟った者

韓国 束草/パク・ヒギョン

3,550 回視聴

先知者(預言者)の定義は「人より先に悟って知る人」です。最近、私は周りの人より先に真理を悟った者として、他の人々に福音を伝えるために慌ただしく動いています。こんな私が真理を悟るまではまた別の「預言者」の長い努力がありました。

20年ほど前、夫婦同伴の集まりでお一人と親しくなりました。神様の教会に通っているというその方は、マスコミに教会のニュースが掲載される度に私に渡してくれました。言論を通じて見た神様の教会はボランティア活動をはじめとする善い行いをたくさんする良い教会のようで、教会の便りを伝えてくれたその方もいつも正しくて明るい人生を生きる方でした。

けれども、その人の話をただ他人の話だと思ったのです。私は幼い頃から教会に通っていましたが、信仰人の望ましい姿とは距離が遠い信者たちに非常に失望しました。キリスト教徒の偽善的な行動に否定的な認識が強くなり、教会は私と合わないと感じて足取りを止めました。信仰の方向を悩んだ末、時間にこだわらず私が望む時に行って自由に祈ることができる仏教に多くの時間と誠意を注ぎました。

ある日、海外旅行に行く途中、激しい乱気流で飛行機が揺れ動きました。その時、本能的に私が探した対象は神様でした。神様に助けてほしいと切実に祈り、私が神様の民だという事実を確実に悟りました。その後、教会に行きたかったのですが、足を移すのが難しかったです。そんな私の心の扉をその方がこつこつと叩きました。

去年の6月、その方が過越祭について真剣に説明しました。早くから生活戦線に飛び込んで前だけを見て走ってきたため、健康も以前のようではなく、子供たちに対する心配も多くなったところでした。「神様の約束を信じて過越祭を守り災難から保護され、残りの生は神様の祝福の中で生きることを願う」という言葉が胸に響きました。なぜこのようにあきらめずに御言葉を伝えるのか、切実に伝えようとする真理が何なのか気になりました。

その日の夕方、神様の教会を訪問して聖書の御言葉を見て神様の子供に生まれ変わりました。直接教会で見た聖徒たちは礼儀良く配慮が身についていて心が楽でした。聖徒たちが明るい理由が気になり、本格的に聖書の勉強を始めました。以前、教会に通っていたとはいえ聖書をまめに見たことがなく、漠然と神様をよく信じれば天国に行けると思いました。ところが安息日魂の問題、肉体で来られた神様など、救いに関する確実な真理がすべて聖書にありました。気になる内容を質問すれば、やはり聖書を通じて理解させてくれるここが真理の教会だと確信しました。

その頃、健康問題で病院を訪れました。あっという間に状況が深刻になり、神様に切実にしがみつきました。神様の助けで無事に治療を受け、退院しながら生と死について真剣に考えてみました。しばらくして、実家の父が病院に入院しました。心の準備をしなければならないかもしれないという医師の言葉に、私ははっとしました。先に真理を受けても父親に救いの知らせを伝えないのは娘の道理ではないという考えで、神様に機会を下さいと祈りました。九死に一生を得て父親が健康を回復した後、このように一寸先も分からない人生なので愛する人たちが早く真理を迎えて神様の保護を受けるようにしなければならないと決心しました。私がもう少し聖書の御言葉を身につけ、証しする能力を備えるまで先送りすることはできませんでした。

ちょうど原州で「真心、父を読む」展(父展)が開かれ、父を連れて行きました。子供たちに向けた父親の愛を扱った作品を一つ一つ注意深く見ていた父親がふと「私はこのようにできなくて申し訳ない」と言いました。幼い頃、父親との絆が深くなかったが、郷愁を呼び起こす展示物品が父親の心に触れたようです。展示会を通じて慰められる父を見て、私も気持ちが良くなりました。2年余りの間、聖書を筆写するほど信仰心が深かった父親は、天の父の犠牲で立てられた新しい契約の過越祭の価値を悟り、聖霊と花嫁を救い主として迎え入れました。

次に妹が思い浮かびました。内外で難しいことを解決するために心身が疲れた妹に、子供たちの痛みを細かく抱いて下さる神様の祝福を受けようと勧めました。迷っている妹を連れて今回も父展を観覧しに行きました。神様の深い愛を感じた妹は、自分の娘と共に新しい命の祝福を受けました。信仰生活の第一歩を踏み出した妹に神様を頼りにして大変な点を全て打ち明けるようにと教えたところ、妹はすぐに行動に移して「お姉さんの話を聞いて100回以上祈りを捧げたが、問題が解決された」と便りを伝えました。

以前の信仰を自ら整理し、エロヒム神様の子供として生きていく父親、掟を大切に守り周りの人々に命の真理を分かち合おうとする妹⋯。家族の信仰が成長する姿は私にも大きな感動です。後で分かったことですが、弟はバプテスマを受けましたが、教会には行っていない状態でした。私の家族は弟を再びシオンに導くためにめっきり対話が多くなりました。これまで家族が真理をよく受け入れるか心配もたくさんして、それだけ切実に求めたが、神様がその心を見てプレゼントをくださったようです。家族と一緒に信仰生活をしながら共有することが多くなり、お互いにより一層強固に連結された感じが新しくて幸せです。

一方、知人たちは変わった私の姿に驚きました人が上品になったとです。もし私の行いのために教会に対して失望して救いの機会を逃す人がいるかと思って一言も気をつけて柔らかくなろうと努力したのですが、効果があって幸いです。どうやって一人でももっと天国に導こうか悩むほど、自分中心だった人生は他人の平安と救いのために祈る人生に変わりました。

会社の職員たちも突然教会に通う私をいぶかしがっていました。何人かの職員たちと対話していたが、なぜ再び教会を訪れるようになったのか、神様の教会の真理がどれほど確実なのかを話しました。その中で関心を示した2人が父展を観覧して御言葉を悟り、神様の子供になり、今は一緒に掟を守りながら聖書を中心に生きています。会社でもシオンの家族たちと私たちが受けた祝福と天国の願いについて話しながら、天の家族の情を分かち合うことができて感謝します。喜びに満ちた会話の中で、会社の雰囲気も自然に明るくなりました。

愛する人々と同じ目標を見つめながら信仰の道を歩むことができるという事実は、本当に幻想的です。このような私の心を認めてくれた子供たち、20年以上付き合った友人、周辺の大切な人々まで8人が神様のもとに来ました。私が神様の教会の聖徒になった頃が昨年の五旬祭宣教祝祭の時だったそうですが、今年の五旬祭宣教祝祭の時は江原道地域で開かれた授賞式で賞をもらいました。予想できなかったことなので驚きました。もっと頑張れという意味で許された賞のようで感謝するだけです。

実際、先に真理を知った人としてこれを勤勉に伝えるのは当然のことです。初めて真理を聞いた20年前、すぐに神様を迎えていたらどんなに良かっただろうと思って残念です。そうしたら愛する人たちをもっと早く救いの道に導いていたでしょうから。私が遅く悟ったせいで、周りの人たちも福音に遅れて接したと思うので、足をさらに早めるしかありません。彼らも真理を受け入れるのに時間がかかる可能性があるからです。最近は大切な真理を正確に知らせるために毎日御言葉を勉強しています。神様が言われた通り、天国福音をサマリアと地の果てまで伝播する一員になりたくて、海外福音も準備しています。

人は未来を知ることができません。しかし、神様は未来をすべて知って、あらかじめ道を開いてくださいます。今の自分の姿を1年前に誰が想像したでしょうか?私をシオンに導いてくださった天の父と母がこれからもすべての道を開いてくださると信じて、まだ命の知らせを聞いていない者たちに向かって力強く走り、預言者の使命を果たします。真っ暗な世の中で一番最初に福音の道を歩きながら真理の光明を照らして下さった天の父と母に心から感謝いたします。