
忙しい日常を送って迎える安息日。シオンで神様を賛美し、兄弟姉妹たちと共に御言葉を調べてみると、一週間疲れた心が力と慰めを得ます。礼拝前に神殿を掃除したり、キッチンで食事の準備を手伝ったりするときは、笑いが絶えません。愛と奉仕で安息日を過ごす私たちを見て、隣人たちは不思議に思っています。いつも幸せに浸っている人のようだとですね。考えてみれば本当にそうです。今当然のように享受している祝福と喜びは、私が真理を受け入れる前には経験できなかったものでした。
神様の教会を初めて接したのは弟を通じてでした。十数年間、プロテスタントのある教派に通っていた私は、弟が教えてくれる聖書の御言葉にはあまり関心がありませんでした。ところが弟がだんだん変わって(?)いきました。家の仕事を前よりもっと熱心に手伝い、言葉遣いが柔らかくなり、行動も温かく、思いやりを持つようになったのです。本当にこれが世間知らずの私の弟なのかと思いました。弟が変わった理由が気になり、弟について教会に行ってみました。シオンの家族たちは初めての訪問に不慣れな私を温かく歓迎してくれました。それは単なる形式的な親切ではありませんでした。いつもお互いを家族のように優しく気遣っていましたが、愛であられる神様の息子と娘であり霊の家族だからだということを後になって知りました。弟がどうして変わったのか理解できました。私もその善良な姿が好きで、毎日シオンに足を運びました。
聖書の御言葉を一つ一つ学びながら知った真理も感動でした。そのうち、私の心に響いた言葉は、母なる神様についての真理でした。私の魂の母がおられるなんて、想像すらしたことがありませんでしたが、聞いた瞬間、その存在が当然でありながらも、はっきりと悟ることができました。この拒むことのできない悟りによって、神様の教会で本格的な信仰生活を始めました。
天の母と共に歩む生活は、まさに幸せそのものでした。天の父母のお二人に祈りをささげると、まるで二倍の祝福を受けているような気分でした。母の胸から一瞬も離れたくない子供のように、私は天の母を求め探し、また求め探しました。体は遠く離れていても、いつも天の母が私を抱きしめてくださる感じがして心が温かかくなりました。天の母に似た兄弟姉妹たちと過ごす時間もシオンで得た楽しみでした。
そしてついに神様の御恵みにより韓国を訪問しました。天の母の国である韓国に来るなんて、言葉では言い表せないほど嬉しい気持ちでした。韓国はこれまで写真と映像で見るよりずっと発展した国でした。戦争で廃墟となった国が、わずか数十年で目覚ましく発展したという事実も驚きでしたが、短期間のうちに、数えきれないほど多くの兄弟姉妹を捜し、都市ごとに教会を建てた神様の教会の歴史を確認したとき、全身に鳥肌が立ちました。神様の御力で成し遂げられた歴史の中心にいることを悟り、自然と感謝の気持ちが湧いてきました。
韓国に滞在しながら、一方では胸が痛みました。モザンビークでは感じることができなかった天の母の犠牲が目に入ったからです。これまで天の母ならば、この地で栄光だけを受けられるだろうと思っていました。しかし、天の母を近くで拝見し、私の考えがどれほど愚かだったかを悟りました。天の母は韓国を訪問した聖徒一人一人に真心を尽くされると同時に、世界中の子供たちの面倒を見るためにひと時も安らかに休まれることができませんでした。それでも疲れは隠されて、私たちの前で微笑んでくださる天の母の前で頭を上げることができませんでした。犠牲で綴られた天の母の一日一日は、愛を除いては説明できない生活でした。
天の母は本国に帰る私たちに、一つのお願いをされました。愛が冷めていく世の中に愛を伝えてほしいということでした。その御言葉を胸に刻みながら誓いました。天の母から受けた愛をできるだけ多くの人々に伝えると。誓いを行動に移すために努力している最近、何よりも忍耐が必要だと感じています。実は以前は、御言葉を伝えるときに相手が聞かなければすぐに諦めてしまいました。もし私の中に愛が満ちていたなら、天の母のようにその魂を憐れみ、そう簡単に放っておくことはできなかったでしょう。私が神様の愛を完全に悟るまで、天の御父母様が待っていてくださったように、私も霊の兄弟姉妹が天の御父母様のもとに戻ってくるまで諦めません。真理に接することができなかった人々に聖書の御言葉を伝え、真理を一度伝えた知人たちを再び訪ねてみるために日常は忙しくなりましたが、天の母の頼みを考えると決して余裕を持て余してはいられません。モザンビークの多くの人が神様の愛、天の兄弟愛の中で幸せを享受できるように熱心に福音を伝え続けます。