神様がくださった美しい思い出

韓国 ソウル / クァク・ミンソン

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海外福音は私とは距離が遠いことだと思っていました。海外宣教団のために祈りで力になることが全てだった私に、短くても直接海外宣教に参加する機会ができました。機会をくださった神様に感謝しながらためらうことなく志願しました。行くことになった宣教地はニュージーランドのオークランドでした。宣教団員たちと「天の母に似た愛で福音を伝え、働き手の実を結ぼう」と心を合わせました。

ときめきを抱えて飛行機に乗った私たちは、20時間かけてオークランドに到着しました。宿泊所に荷物を置くやいなや御言葉を伝えに出掛けました。オークランド空港に足を踏み入れた時は、重だるかった体が宣教を始めると、飛ぶように軽く感じられました。

地元の人たちは、私たちの話を慎重に聞いているようで、「もっと御言葉を聞いてみて」という勧誘には丁重に断りました。多くの人が耳を傾けてくれるだけでも福音の門が大きく開かれたようで感謝しました。その日の日程を終えて宿舎に戻る間、「不思議と全く大変ではないです」、「聖霊が満ちればこんな気分なんですね」という活気に満ちた会話で車の中が溢れかえりました。

現地の家族の純粋さと暖かさは、慣れない環境に適応するのに大きな力になりました。明るい笑顔に心が安らかになり、緊張が解け、シオンで感じられる天の母への愛に疲れが吹っ飛びました。何より家族の口から「神様ありがとうございます(Thanks to God)」という言葉が止まらない点が印象深く残りました。宣教する時も、食事の時間にも、奉仕しながらも心から神様に感謝を表現する家族たちの姿を見て、あまり感謝できなかった自分の姿を反省しました。

家族と力を合わせて天の母と過越祭の真理を切実に伝えましたが、宣教日程の中盤になるまで天の家族を見つけることができませんでした。表には出さなくても私たちの心は焼け焦がれていきました。その時、牧師の言葉が胸に響きました。

「ここで福音を伝え、美しい思い出をたくさん作ってください。後になって見ると、簡単で楽だったことはよく覚えていません。難しくて大変な中で神様の助けを感じた時、まさにその福音の道が思い出になり記憶に長く残ります」

それを聞いて泣きそうになりました。私たちは最初に立てた目標を心に再び刻み込む一方、結果に重点を置いて焦らずに御言葉の種を丁寧に植える過程に集中することにしました。心を再整備して宣教に臨んだのですが、ちょうどその日、空に双子の虹が現れました。祝福を与えると約束される神様の声を聞いているようでした。

残った宣教期間、本当にお互いが目を合わせるだけで笑いが爆発するほど楽しく福音を伝えました。ひとしきり笑ったら、新しい力が湧いてきて、辛いと感じる間もありませんでした。笑いで一つになると、連合と和合も自然に成し遂げられました。だから神様の民を「笑い」という意味の「イサク」のような子供だとおっしゃったんだなと思いました。団員たちは一様に「韓国に帰ってもたくさん笑いながら福音の仕事をしなければならない」と口をそろえました。

帰国する前日の安息日の午後の礼拝までも実の便りがありませんでした。最後の一分一秒まで後悔なく最善を尽くそうという心情で礼拝後に御言葉を伝えに出かけました。しばらくして、団員からある家庭で一緒に聖書を見ているという連絡が来ました。心を一つにして祈りながらその家に行くと、家族七人が居間に集まって聖書の御言葉を勉強しているではありませんか!他の教派の信者だった彼らは「聖書に出てくる過越祭をなぜ今まで知らなかったのか理解できない」と言って「過越祭を守りたい」と言いました。それを聞いた瞬間、私たちは皆、喜びの涙をこらえるのに苦労しました。七人が一度に新しい命の祝福を受ける姿を見て、二千年前にコルネリウスの家庭がバプテスマを受けた聖書の中の場面が思い浮かびました。聖霊時代の新使徒言行録を書いていく場を共にしているという事実に感動で胸がいっぱいでした。新しい家族がコルネリウスのような信仰の家庭に生まれ変わり、神様に喜びを与えることを祈ります。

海外宣教を終えながら、私の中には二つの徳目が生まれました。それは「諦めない信仰」と「笑い」です。福音の旅路にどんな困難が迫っても神様の約束を信じてあきらめないならば、約束の子供らしく笑いを失わないならば結局神様が大きな報いと祝福を許してくださるということを悟りました。

ニュージーランドで美しい福音の思い出を許してくださった天の父と母に感謝します。今回の宣教を通じて天国に行く道を見つめる視線が変わりました。その道は大変で難しい道ではなく、きらきら輝く思い出を作る福音の舞台だと。天の本郷に戻って地球で積み上げた思い出を天使たちと一緒に仲良く話す日が待ち遠しいです。