
夕方になって「高い」という城門の外の井戸に土ぼこりをたくさんかぶった年配の旅行客が立ち止まる。カナンの地で主人の独り子イサクの配偶者を探すために旅に出たアブラハムの僕である。老人はらくだを井戸のそばにひざまずかせた後、両手を胸元に合わせる。
「私たちの主人アブラハムの神様、今は城内の民の娘たちが水を汲みに出てくる夕方の時間です。その中で、私が水をくれと頼めば快く水を飲ませてくれ、また私が言わなくてもらくだにも水を飲ませてくれる心優しい娘が、イサク坊ちゃんの配偶者に決められた者だと了解します」
祈りが終わる前に城門で美しい一人の少女が水の壺を肩に担いで井戸に降りて行き水を汲む。壺に水を入れて背負い、道を上ってくる少女を老人が呼び止める。水をくれと頼む老人の頼みに慌てて壺を下ろして水を飲ませてくれる少女。少女は老人が水を飲み終えると「遠い道を来られたようですが、あなたのらくだにも水を飲ませて差し上げましょうか」と言って井戸に駆けつける。十頭もいるらくだのために再び水を汲んで飼い葉桶に注ぐ少女の顔が明るくきれいだ。老人の願った祈りの通りである。
旅人を優遇したこの少女の名前はリヴカである。喉が渇いた家畜のことまで思いやる心優しいリブカは、将来、約束の子孫イサクの妻、そして一千万イスラエルの民の母になる祝福を許される。
人を輝かせるのは派手な衣服や装身具ではなく、その人の行いだ。行動はその人の心と人柄をそのまま見せてくれる鏡だからである。
善良な行いは相手を哀れむ心から生まれる。リブカは十頭のらくだの喉の渇きを癒すために繰り返し水をくみ上げた。それも見知らぬ旅行客のために。
リブカが行ったことはアブラハムの僕がイサクの花嫁候補に会う前に神様にささげた祈りと一致した。このすべてのことに関して神様の摂理が先に作用したとしても、もしリブカが格別な心で善い行いをしなかったとすれば、神様が予定された祝福の対象は変わったかもしれない。
誰もが実践しがたい大きな善行は、普段小さな善行を施した時に自然に出てくるものである。身についた善行は積もり積もって誰もが受けることのできない大きな祝福につながるだろう。神様が選ばれた者になる祝福までも。