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主がお入り用なのです

マコ11:1-7

389 照会

エルサレムに近づいたとき、イエス様は二人の弟子を村に使いに出される。

「向こうの村へ行きなさい。そこに、まだ誰も乗ったことのない子ろばがつないであるだろう。それを連れて来なさい。もし誰かが、なぜそんなことをするのかと言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。そうすればすぐにほどいてくれるだろう。」

弟子たちが村に入ると、なるほどイエス様のおっしゃったとおり、表通りの戸口に子ろばがつながれている。弟子たちが子ろばを連れて行こうとして縄をほどくと、そこに居合わせた人々のうち、ある人が聞く。

「それをほどいて、どうするのか?」

「主が、お入り用なのです。」

弟子たちがそう答えると、飼い主がすんなりとロバを差し出してくれる。イエス様は弟子たちが連れて来た子ろばにお乗りになり、エルサレムに向かわれる。

イエス様は、十字架の苦しみを受けるべき時が近づいたことをご存じで、弟子たちを遣わし子ろばをご自分のところに連れて来させられた。これは救いを施される王がエルサレムに臨まれるとき、子ろばに乗るというゼカリヤ預言者の預言(ゼカ9:9)を成就されるためであった。弱々しいろばも、また、『主がお入用なのです』という言葉に、喜んで子ろばを差し出してくれた平凡なロバの主人も、預言成就のために道具として使われたのである。

私たちは、『御国のこの福音があらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる』(マタ24:14)と言われた御言葉を成就なさるために、神様がお召しになった者たちだ。極々平凡な存在が、必ず成就される聖書の預言の中で福音の道具として使われているとしたら、これより大きな祝福があるだろうか。抱え難いほど大きな祝福の前で、私たちができることは、神様がお使いになるのにふさわしい道具となれるように、もっと謙虚になり従順に従うこと、ただそれのみである。