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神様の教会には、なぜ十字架がないんですか?

1099 照会
今日、職場で同僚と話をしてたんですけど、ちゃんと教えてあげられなかったようで、残念です。
どんな話をしたんですか?
同僚が教会に通っているんですが、私が「十字架は偶像だから、立ててはいけない」と言うと、「十字架は教会のシンボルなのに、何で偶像なのか」と聞いてきたんです。色々教えてあげたかったんですが、思いつかなくて…。十字架がどうして偶像なのか、もう一度教えてくださいませんか?
もちろん、いいですよ!じゃあ、まず十戒を見てみましょうか。

あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。… 出20:4-5

神様は、像は造ってもいいけれど、ひれ伏したり仕えたりするのだけは、だめだとおっしゃいましたか?
いいえ、造るのもダメだとおっしゃいました。
神様は、神様に似せたどんな形を造ることも願われません。十字架も、例外ではないんです。「造ってもいけないし、ひれ伏してもいけない」というどちらの御言葉にも反することになりますね?
そういえば同僚も、お祈りのたびに必ず自分のデスクの前にかけている十字架に向かって、頭を下げて祈ってます。
「十字架は教会のシンボルに過ぎない」といくら言い張っても、自然と心が引かれて、特別な意味付けをしてしまうのは避けられないんです。神様もそのことをご存知なので、最初から造らないようにとおっしゃったんですね。神様はそのような行為を、何度も厳しく禁じられました。

あなたたちは偶像を造ってはならない。彫像、石柱、あるいは石像を国内に建てて、それを拝んではならない。わたしはあなたたちの神、主だからである。 レビ26:1

ここでも、偶像を造ったり、それを拝んではいけないと、同じことをおっしゃっているでしょう?こういうことは、神様ではなく自分のための行為に過ぎないんですよ。
ところで彫像、石柱、石像って、何ですか?
彫像とは木を彫って造った像のことで、石柱は石でできた柱の形の像、石像は石で造った像のことです。信仰のために、木や石のような物質で造られた像は、すべて偶像だといえます。
そう考えてみると、十字架も木や金属のような物質で造られた一つの像ですよね。
それだけでなく、特定の形の像を造って宗教的な意味づけをするというのは、キリスト教ではなく異邦宗教で始まった風習なんです。

主はこう言われる。/異国の民の道に倣うな。/天に現れるしるしを恐れるな。/それらを恐れるのは異国の民のすることだ。もろもろの民が恐れるものは空しいもの/森から切り出された木片/木工がのみを振るって造ったもの。金銀で飾られ/留め金をもって固定され、身動きもしない。きゅうり畑のかかしのようで、口も利けず/歩けないので、運ばれて行く。/そのようなものを恐れるな。/彼らは災いをくだすことも/幸いをもたらすこともできない。… エレ10:2-5

人間の手で造られた物は、いくらもっともらしく作り飾り立てたとしても、人に何の影響も与えることのできない、かかしのような存在に過ぎません。なのに、多くの人がそのような十字架を車に飾ったり体に身に着けて、まるでお守りのように持ち歩きながら、「十字架が私を危険から護ってくれるはず」と思っていませんか?
何らかの形を造って立てる風習が、異邦宗教から始まったんですか?では、イエス様が建てられた初代教会には、十字架がなかったでしょうね?
もちろんです。十字架に対する初代教会の見解は、今とは全く違っていました。当時は、十字架を教会の象徴どころか、身の毛のよだつ非常に恐ろしい物だとみなしていたんです。

「十字架を公に使うことは、コンスタンティヌス帝の時代に、キリスト者が象徴として採用したことから始まった。初代のキリスト者は、迫害という日常の経験としての恐ろしい事実に囲まれていたので、感情にとらわれて十字架を美化する危険はなかった。」 ベイカー神学辞典、p.192

つまり、ペトロやパウロのような人は、十字架を全く良く思っていなかったということですね?それなら、私たちもそう思わないといけませんね。
そうなんです。初代の信徒たちにとって悲しい思い出でしかない十字架が、現代に至って神聖視され、教会のシンボルとして美化されたと考えると、実に嘆かわしいですよね。
教会に通っていても、こういった聖書の御言葉を無視して、十字架のような偶像を崇拝し続けた場合、どうなりますか?
偶像崇拝をしたらどうなるか、その結果についても神様があらかじめ教えてくださっています。

職人の手の業にすぎぬ彫像や鋳像は主のいとわれるものであり、これを造り、ひそかに安置する者は呪われる。それに答えて、民は皆、「アーメン」と言わねばならない。 申27:15

神様がいとわれることをしながら、祝福を期待することはできないでしょう?神様を心から愛するなら、神様が禁じられたことは、してはいけません。
神様の教えが、よく分かりました。明日、同僚にも必ず教えてあげたいです!
お役に立てて良かったです。同僚の方に、ちゃんと教えてあげてくださいね!