ある日、石につまずいて転びました。その瞬間には気が気でなくて、痛いところも見過ごしてしまいました。時間が経つと全身がずきずきし始め、手がパンパンに腫れて膝に真っ青なあざができました。
手足をきちんと使えないのは、とても不便なことでした。掃除、食事、さらにはお祈りさえも困難でした。困難を感じる度にシオンの家族たちが落ち込んだ気持ちを慰めてくれました。
わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。 一コリ12:23-25
聖書では私たちを一つの体の部分だと言いました。家族たちは私の手を握ってくれて、食事を助けるなど私の不便さに素早く気づいて解消してくれて、見劣りのする部分をいっそう引き立たせるように私の面倒を見てくれました。一つの肢体が不便で大変な部分を障害物だとは思わず、むしろ大事に接してくれた兄弟姉妹から母の愛を感じました。
痛いと恨んで文句を言った私に、神様は兄弟姉妹の苦しい部分を包み込み、助けてあげることがどれほど大きな力であり、美しい愛なのかを悟らせてくださいました。悟りを許してくださった父と母に心から感謝します。