母と子のつながり

私は千切り用スライサーを使えません。スライサーでけがをしたことも、誰かがスライサーでけがをしたのを見たこともありませんが、いつからかスライサーを見るだけで手を切りそうな恐怖が感じられました。だから私はスライサーを一度も使ったことがありません。
スーパーに買い物に行きながら母にその話をしたとき、驚くような話を聞きました。母親が私を妊娠した時、スライサーを使って大けがをしたというのです。手を切って血をたくさん流し、病院に行って傷口を縫合したのですが、妊娠中なので薬が使えず麻酔もできないまま治療を受けたそうです。母親は、あの時の痛みがお腹の中にいた私に伝わったようだと言っていました。胎児の時の記憶が無意識に残り、成人した今までもスライサーが使えないのではないかと。
母親の言うとおり、スライサーを使ったこともない私がスライサーに恐怖心を感じるのは、母のお腹の中で母親と一緒に経験した苦痛のためかもしれません。胎児の時、母が感じた苦痛を共に感じ、成人になった今も無意識のうちにその苦痛を記憶しているということは、世の中のどんな学問でも証明できない母と子の絆のようです。
母と子供の間の絆は、神様と私たちの関係を悟らせようとする神様の摂理だと信じます。天の母の子供なら、天の母が苦しむ時には一緒に苦しむべきで、天の母が悲しむ時には一緒に悲しむべきです。しかし、私は神様の子供と呼ばれたにもかかわらず、天の母の苦痛と痛みを推し量ることができず、天の母の悲しみを他人事のように見ているだけでした。天の母が私たちのために御自らこの地に来られて、私たちが受けなければならない苦難を代わりに受けてくださったことを忘れたまま生きていました。天の罪人として当然受けなければならない苦難を避けるのに忙しくて楽な道だけを行こうとしました。
天の母の子供として母の痛みに共感し、天の母の苦難に参加することは、私たちが母の子供であることを証しする証であり、天の母と私たちをつなぐ霊的絆ではないかと思います。子供のために生涯を犠牲にされて今まで待ってくださり、絶えず愛してくださる天の母に無限の感謝を申し上げます。これからは天の母と共に悲しみ、喜び、福音の苦難と栄光を共にする子供になります。