母のお使い

オーストラリア メルボルン / チョン・ヨンウク

6,369 回視聴

私は三兄弟の二番目です。私たち兄弟はオーストラリアのメルボルンでそれぞれ別々に住んでおり、両親はメルボルンから車で9時間かかるアデレードに住んでいます。私たちは仕事が忙しくてあまり両親に会いに行けませんが、母は、私たちが病気になったり何かあれば、遠い道のりを一気に駆けつけて来てあれこれと世話をしてくれます。

ある時、兄がひどい風邪にかかりました。いつもなら母がすぐ兄の家に行ったはずなのに、よりによって母自身も体の具合が悪い上、忙しい用事まで重なって動けませんでした。夜遅く、母は私に電話をくれました。

「ヨンウク、できたらお母さんの代わりに兄さんにおかゆをつくって持って行ってくれない?」

「おかゆ?…うん、分かったよ。でも明日は早起きしないといけないから今は難しいな。明日作って持って行ってもいい?」

「今だめなら仕方ないね。じゃ、明日にでも必ずお願いね、頼んだわよ」

実は、面倒でした。明日、早起きしないといけないのも事実でしたが、とても疲れていて動きたくなかったのです。とりあえず時間を稼いでホッとしたのもつかの間、母のとても心配そうな声が耳元に何度も響きました。じっとしているのが悪い気がしてきて、疲れた体ですぐにおかゆを作って兄を訪ねました。体は少しつらかったけれど、心は遥かに楽でした。帰りがけに、母に電話をして安心させました。

「今、兄さんにおかゆを持って行ってあげたよ。兄さん、おかゆ食べて休んでるから、あまり心配しないで」

「まあ、本当?ありがたいわ。お母さんがしなくちゃいけないのにお前がしてくれて…本当にありがとう。ご苦労様。早く家に帰って休んでちょうだい」

心の底から感謝している母の声を聞いて、涙がつぅっと流れました。渋々やったお使いなのに、こんなに喜んでもらえるとは…。

ふと、エロヒム神様から福音を伝えるように頼まれた息子として、そのお使いをちゃんと果たしているのかどうか、自分を振り返ってみました。恥ずかしいことに、魂が痛んでいる天の兄弟姉妹たちに神様の代わりに命の糧を伝える使命を、あれこれ言い訳ばかりして先送りしたことが何度もありました。天の母に喜んでいただきたい、母の愛を実践したいと口では言いながらも、いざ天の母が喜ばれることはしていませんでした。

悔い改めの祈りをささげながら誓いました。疲れて大変でも、失われた子供を捜しましたという知らせを聞いて明るく微笑まれる天の母を思いながら、頑張って福音を伝えようと。これ以上、言い訳はしません。天の母に、心配ではなく喜びを差し上げたいなら、そうするために天の母が喜ばれることを一生懸命しようと思います。