当たり前ではない日常

韓国 安養 / キム・ハジン

10,276 回視聴

我が家では、家事を両親が分担している。掃除は父、洗濯は母、食事の用意は二人で一緒に。私ももう大人なので、両親だけが家事をするのは何となく申し訳ないから手伝うと言うと、両親は「じっとしていてくれるのがお手伝いだよ」と、断られる。

休日のある日、両親は外出し、家には私一人が残っていた。家事を独り占め(?)できる絶好のチャンスだった。物干しに干してある洗濯物を取り込むことから始めた。しかし、しょっぱなから難題にぶつかった。母はきれいに畳むのに、私がすると畳んだところがピンピンと突き出して、形が変だった。試行錯誤の末、できるだけきれいになでつけて、それぞれ決められた場所にしまった。

洗濯物を畳んだ後は、家の中が散らかっているのが目に入った。リビングから始めて、奥の部屋、ドレスルーム、私の部屋、キッチンの順に掃除機をかけた。ところどころ、床に散らばっている物を片付けようと、腰を曲げたり伸ばしたり、掃除機をつけたり消したりを繰り返した。床に全部掃除機をかけた後、腰がズキズキと痛んだ。それでも家がきれいになったので、胸がいっぱいになった。

これといって何かしたわけでもないのに、時間はあっという間に過ぎた。両親が帰って来たらすぐ夕食が食べられるように食事の準備をしようと買い物に出かけた。豪快にスーパーに入ったものの、どんな材料が新鮮なのか、家に何があるのかよく分からず、右往左往した。その上、買い物袋はいったいどうしてこんなにも重いのか、歩いてたった15分の距離が数時間のように長く感じられた。

家に帰るやいなや息をつく暇もなく、夕食づくりに突入した。メニューは「豚肉の野菜包みご飯定食」。食事の準備も案の定、甘くはなかった。包丁を使うのは苦手で、手を切らないかと恐ろしく、肉を炒めた時は腕の筋肉がガチガチになった。冷水で野菜を洗ったら、手の感覚がなくなった。最後はテンジャンチゲの味を調えようと、ガスレンジの前でしばらく格闘した。ご飯は母が炊いておいてくれたので、本当に助かった。

長い道のりのような家事を、やっと無事に終えることができた。結果は大成功!外出から帰ってきた両親は、ピカピカになった家と夕食を見て、大喜びだった。

「○○、すっかり大きくなったわね。またなんで、こんなこと思い立ったの?」

母は食事をしながらもずっと褒め続けてくれ、父は鍋に残ったスープまで残さず平らげた。両親のほめ言葉に、私は嬉しさのあまり口角が上がりっぱなしだった。今日一日の積もり積もった疲れがすっかり取れたような気分だった。ところが、体の方はそうはいかなかったようだ。食事を終えるや否や、ベッドに仰向けにゴロンと寝転んだ。じっと横になって、考えた。

「両親は毎日毎日、こんなにつらい仕事をしてきたんだな」

シャワーのたびに使うふわふわのタオル、朝晩の温かい食事、クローゼットにかかった清潔な服、退社後帰宅するときちんと整えられているベッド、トイレにいつも備えられているトイレットペーパーまで…。当たり前に暮らしてきた日常が、実は当たり前ではなかった。私の安らぎの裏に隠された両親の苦労に、なぜ今まで気づかなかったのだろうか。

こんな自分が恥ずかしくて、両親に申し訳なかった。そして、遅ればせながら誓った。世の中に当たり前なことはないという事実を、絶対に忘れないと。いや、当たり前のことが、一つだけある。これまで自分が楽しんできた贅沢と幸せに感謝し、両親に恩返しすることだ。