4万人ほどの人口が住んでいるペルー、アマソナス州チャチャポヤスに短期宣教に行くスケジュールが立てられました。短期宣教は、38人の志願者を四つのグループに分けて、半月ずつ進行するように計画を立てました。
本格的な宣教活動に先立って、「天の父と母を完全に頼って福音の使命を全うしよう。」と決意し、神様が助けてくれることを心を一つにして切に求めました。その次に、支教会に適した建物と宣教する場所を調べるため、最初の宣教団が出発する数日前に、2人の協力者が先に該当地域に行きました。
大都市のリマでも大きな家を借りるには、三、四ヵ月は優にかかります。人里離れた都市で、たった数日の間に必要な家を探すということは、現実的に容易なことではありませんでした。ところが、たった三日で探すことができました。さらに家主は、その日のうちに家の鍵を渡してくれ、椅子をはじめ、机と教会運営に必要なオフィス用品等まで提供してくれました。
イエス様がエルサレムに入城される前、2人の弟子を送られた時のことが思い出されました。「『主がお入り用なのです。』と言いなさい。」(ルカ19:31)と言われたので、すべて滞りなく進められました。今回の短期宣教もまた、「御国のこの福音はあらゆる民への証しとして全世界に宣べ伝えられる。」(マタ24:14)と言われた御言葉どおり、成就される準備が、すべて整っているということが感じられました。

2016年12月12日、第1次宣教チームが、チャチャポヤスへと出発しました。第1次宣教チームは半月の間、天の母についての真理を伝え続けました。第2次宣教チームは、福音を伝える使命だけでなく、第1次宣教チームを通じて真理を受け入れた方々に、御言葉の糧を分け与える事も同時に行いました。相次いで3次、4次の宣教チームが派遣され、教会建設に向けた準備に拍車がかかりました。
二ヵ月間、順次に行われた宣教で、霊的にとても暗かったチャチャポヤスで40人以上の貴重な天の家族を捜すことができました。そのうち半分くらいの家族たちが礼拝をささげました。
瞬く間に教会が建てられ、私もそこに4日間滞在しながら、本当にたくさんの感動を受けました。私はチャチャポヤスに行けば、あちこち訪問するために忙しいだろうと思っていました。ところが、訪問はほとんど必要ありませんでした。シオンを訪れる新しい家族たちとの聖書の勉強が絶えなかったからです。
チャチャポヤスでの日程の初日、午後遅くにシオンに到着してから、また出かけようとしていた時、新しい家族たちが聖書の勉強をしにこちらに向かっているという連絡を受けました。御言葉の勉強は夜遅くまでしても足りず、翌日の朝から午後まで続きました。
彼らとの聖書の勉強が終わって、また他のグループの家族たちが来て、遅くまで御言葉を学んで行きました。その後は時間が遅くなって、もう来る人はいないだろうと思い、訪問の準備をしていると、どうしたことでしょう、家族たちが一群となってまた押し寄せて来たのです。
新しい家族たちは、神様の掟をとても大切に思って、守るために努力しました。そこにはオカンポ兄弟の家族6人も含まれています。
市の外郭に位置したある農場で働く兄弟の家族は、安息日の重要性を知るや否やオーナーに「安息日礼拝を守ることができるようにしてほしい」と頼んだそうです。兄弟の家族にとっては、大きな勇気が要ることでした。農場のオーナーに嫌われでもすれば、経済的な不利益を被る恐れもあったからです。
初め、だめだと断ったオーナーは、思いもよらない事件によって、気が変わりました。安息日の午後、彼は大きな一本の木を切っていました。ところが、大きな木の枝が一方に倒れながら、頭を強く打ってしまいました。ほとんど意識を失うほどの状態にまでなった農場のオーナーは、オカンポ兄弟の家族を呼んで、安息日には仕事に出なくてもいいと言いました。オカンポ兄弟の家族は、その次の安息日に一人も欠けることなく全員、安息日を守りに来ました。農場のオーナーも神様の御言葉を学ぶことを約束したと聞き、本当に感謝しました。
新しい福音の土台を開拓する過程で感じたことがあるとすれば、信じて行う者に、神様の祝福が与えられるということです。全世界的に経済が厳しいこの時期に、ここペルー教会の家族たちにも、それぞれ大変な事情があります。それでも多くの家族たちが預言の主人公だということを自認し、喜びながら短期宣教に志願しました。
真の神様に出会って、信仰の歩を踏み出した家族たちの姿を通しても、行う者が受ける祝福がどんなものかを実感しました。肉的な損害を甘受しても、精神的損害だけは受けないという意志で、神様の聖なる約束が込められた安息日を固くつかむ家族たちの姿は、天国を力ずくで襲うということがどんなことなのか、はっきりと見せてくれました。
チャチャポヤス支教会の家族たちが、全世界に天の父と母の栄光を現す福音の大きな働き手になるようお祈りいたします。皆が、麗しい信仰を持って、天のエルサレムの神殿の貴重な材料になれるようにしてくださいますように。