「すべてのことに時がある」と言われた御言葉どおり

韓国坡州 / イ・ヨンジャ

349 照会

寝床につきましたが、なかなか寝付けませんでした。心の中で『御父様、御母様、ありがとうございます』という言葉が止めどなくあふれて来るからです。

今朝、美容室の店長からのテキストメッセージをもらってびっくりしてしまいました。

「私、今日浸礼受けます。」

その短い文章を何度も何度も確認しました。昨日までは受けないと言っていたので、一層信じられませんでした。

店長と知り合いになってから、はや7年。7年も真理を受け入れなかったらあきらめもしそうなものですが、私が未練を捨てられなかった理由は、店長の姿が私の真理を受け入れる前の姿ととてもよく似ていたからです。神様の子どもになる10年前、私にもあきらめずに福音を伝えてくれた方がいました。当時は関心がなくて、私と関係ない話のように思って聞いていたのですが、10年の歳月を経て、やっとのこと新しい命の祝福を受けました。霊的な理を悟った後、私に救いの知らせを伝えてくれたこの方に、どんなに感謝したか知れません。

私がそのような経験をしたので、遅くても救われるべき人は必ず神様に帰って来るという信仰が、常に胸の片隅にありました。それで、一年前に美容室をやめてから、なかなか会えなくなり、何度か電話で安否だけ尋ねていた店長が、今年の夏、他の地域で美容室を開業したという便りを聞いて、遠い所でしたが訪ねて行ったのです。店長が神様の祝福を受ける時が、今かも知れないと思ったからでした。

一目散に駆けて行って出会った店長は、一年前とはがらりと変わった姿でした。以前の堂々とした様子はなくなり、心配に満ちた表情でした。これまでとても苦労したという店長の話を聞きながら、聖書の中の良きサマリア人のたとえ話が思い浮かびました。サマリア人は、道で強盗に遭って死にいく人を、見捨てて通り過ぎたりしませんでした。魂が深く傷ついた店長を放っておくことができませんでした。

まず、店長が面倒な問題を解決するためにあちこち動き回るとき、一緒にいてあげました。一人で寂しくないように同行して、頑張れと言う意味で食事を一回ごちそうした程度でしたが、店長は私がすごいことでもしたかのように有難がりました。「余裕がある時は周りに人もたくさんいたのに、経済的に苦しくなると、あんなに大勢いた人が皆離れて行った」と残念がっていた店長は、あんなにも待ちわびていた言葉を口にしました。

「私も今からは、神様だけ仰ぎ見て生きようかな。」

その言葉通り、店長は一ヶ月の間、行ったり来たりして顔見知りになった美容室の近くにあるシオンの家族について行き、神様の子として新たに生まれました。店長の魂を命の道に立ち帰らせてくださった神様に、本当に感謝いたしました。

店長は現在、天の姉妹になったので、永遠に別れないようにしようと言います。私も長い道のりを通って帰って来た姉妹と、天の父と母の胸で永遠に一緒にいたいと思います。心がときめいて、まだしばらく寝付けそうにありません。