
「ママ、私、大きくなったらお母さんになる」
「なんで?」
「ママは片手ではティッシュを持って、もう片方では私の手を握ることができるじゃない?」
覚えてはいないが、私が4歳の時に母に言った言葉だそうだ。市場へ行く途中、母は片手にトイレットペーパーセットを持ち、もう片方の手は私の手を握っていたという。そんな母が、私の目にはスーパーマンのように見えたのだろう。その当時の私の身長がトイレットペーパーセットと同じぐらいだったことを考えれば、それも当然といえる。
今、私は母より背が高い。しかし、今でも母は私にとってただただすごい存在だ。私が成人になってもできないことを母はてきぱきとやり遂げるからだ。壁紙や家具のリフォームから編み物、洋服の修繕、美容技術まで、手作業ならできないことはない。おかげで、大抵のことは他人の手を借りなくても自宅で解決できる。
先日は家に帰ると、家具という家具が壁から少しずつ離されていた。母が壁紙を張り替えていたのだ。季節が変わったこともあり、壁紙が汚れたので新しく貼り変えていたとのこと。壁紙に付いた汚れが気になっていたのは私も同じだが、学校から帰ってきて疲れていたため、つい母にカッとしてしまった。
「帰ってきたらすぐにシャワーして休もうと思ったのに、何なの、これ」
母は黙って何も言わなかった。その日、母の愛情いっぱいの手作業で、私の部屋はスッキリと生まれ変わった。特に、部屋に入るとすぐに目につく黄緑色のポイント壁紙は、本当にきれいだ。壁紙を見るたびに、一方では自分のことしか考えず母を手伝わなかったので、申し訳なくて心がチクチク痛んだ。
昔から今にいたるまで、母の苦労は尽きない。小学生の時、友達が欲しがっていた可愛いマフラーも母の作品だったし、家で勉強する時に敷いていた座布団も母の作品だった。新しく買った靴の色が気に入らなくてあまり履きたくないと言ったら、すぐに他の色に染めてくれたのも、丈が短くて悩んでいたスカートの裾を伸ばしてくれたのも母だった。振り返ってみると、母は自分の腕の良さを自分のために発揮したことがない。どこまでも、家族のための犠牲と愛だった。
できないことがない万能な私の母。母のおかげで、私も手先が器用だとよく言われるが、黙々とした愛だけは、母に追いつくのは永遠に難しいようだ。