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過越祭、災いが過ぎ越す理由

154 照会

神様は悪魔を退けられ、子供たちに永遠の命を下さるために、過越祭の真理を制定されました。シオンの家族なら誰でも過越祭の重要性をよく知っていますが、過越祭によって災いが過ぎ越す理由は何なのか、より綿密に調べてみるべきだと思います。

過越祭の真の意味が何なのか、災いを過ぎ越させる過越祭の力の源がどこであるのかを聖書を通して調べてみながら、神様の御前により謙虚で謙遜な者になりましょう。

過越祭、小羊の血で災いを免れる

過越祭は、今から約3500年前に制定された神様の祭りです。イスラエルの民がエジプトで奴隷生活をしていた時、イスラエルの民を解放して去らせよという神様の命令に逆らったエジプトには十の災いが臨みました。聖暦一月十四日の夜に下された十番目の災いは、初子を滅ぼす災いで、神様は小羊の血を入り口の二本の柱と鴨居に塗った家だけ、災いが過ぎ越すようにされました。この日がまさに過越祭です。

それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。 出12:11-13

この日、上はエジプトの王ファラオの王子から、下は監獄に閉じ込められた囚人の息子まで、すべての初子が死に、エジプト人の家の中で死を免れた家は一軒もなかった、と聖書には記録されています(出12:29-30)。しかし、過越祭の小羊の血を鴨居と二本の柱に塗ったイスラエルの家は、災いを免れて救いを得ました。

主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。 出12:23

ここで私たちは、災いが小羊の血を見て過ぎ越したのか、過越祭を守った人を見て過ぎ越したのか考えてみる必要があります。知恵があるという学者の家も、世界の宝を持つ金持ちの家も、最も高い権威を持つ王宮も、決して災いを避けられませんでした。唯一、小羊の血が塗ってある家だけが災いを免れることができました。

災いが私を過ぎ越していく理由は、過越祭を守った私に能力があり優れているからではなく、唯一、私の中に過越祭の小羊の血があるからです。私を愛して守ってくださる、目に見えない神様の恵みが私を包んでいるので、すべての災いが過ぎ越し、悪の神々は裁かれ、罪の世界から私が救いを受けられるのだという点を深く考えながら、過越祭そのものに目を向けるのではなく、過越祭で私を守ってくださり保護される神様の御手を感じてみてください。

本当に恐ろしい存在

ある寓話に、このような話があります。ある日、トラに出会ったキツネがトラに「トラ君、知ってるかい?実は、動物たちはみんな、君よりも僕のことを恐がってるんだよ」と、自分が森の中で最も恐ろしい存在だと主張しました。

動物の王を自称していたトラは、後ろ足で一度蹴ったら飛んでいきそうなキツネが、自分の前で大きなことを言うので呆れました。するとキツネは、森の中の動物たちがみんな自分を恐がる様子を実際に見せてやるから、ついて来いと言いました。

トラはあまりにも自信ありげなキツネの態度に、半信半疑でついて行ってみました。すると、本当にキツネが行く先々で、みんなびっくりして逃げて行くのです。ウサギのような小さな動物は言うまでもなく、力持ちのクマさえもすべて尻込みして逃げて行きました。

「ほら、見ただろう?動物たちがどれだけ僕のことを恐れているか」

キツネが意気揚々と、トラに言いました。しかし、実のところ、動物たちはキツネが恐くて逃げたのではなく、後ろにいるトラが恐くて逃げたのでした。

私たちの周りでも、似たような状況を目にすることがあります。時に、大人が子供相手にたじろぐ場合がありますが、これは通常、子供の親が資産家であるか権力者である場合が多いです。彼らは実は子供が恐ろしいのではなく、子供のバックにいる親が恐ろしいのです。

敵である悪魔が私たちに手出しもできず、私たちが真理を証しするたびに逃げる理由も、私たちの内に過越祭の小羊の血があるからです。過越祭によってエジプトのすべての神々も罰を受けると言ったので、悪魔が最も恐れているのもまた過越祭の小羊の血であることが分かります。

過越祭の小羊であられるキリスト

使徒たちは、この過越祭の小羊の実体がキリストだと証ししました。

いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。だから、…過越祭を祝おうではありませんか。 一コリ5:7-8

キリストが過越祭の小羊として犠牲になられる時に流された血が、まさに過越祭の小羊の血です。そのようなキリストの尊い犠牲があったので、私たちは過越祭を必ず守らねばならないのだと言いました。私が大きな信仰を持っていて、多くの能力があるので、悪魔が私を恐れるのではなく、実際は私の内にあるキリストの尊い血を恐れているのです。

知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。 一ペト1:18-19

わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。 エフェ1:7

私たちは自分の知識と知恵によってではなく、キリストの血によって贖われ、罪を赦されました。聖書は、救いが私たち自身から出たものではなく、キリストの尊い血によるものだという事実を悟らせてくれています。

キリストの犠牲の血が私たちの内にあるので、私たちが救いにあずかれるようになったことを考えると、なぜ神様の御心に従うべきであり、なぜ神様の御前に謙虚な者になるべきなのか理解することができます。

過越祭に内在するキリストの肉と血

私たちをむなしい生活から贖い、罪と死の中から贖った小羊の血について、イエス様は次のような教えを下さいました。

イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。…」わたしを食べる者もわたしによって生きる。 ヨハ6:53-57

災いはもちろん、罪と死さえもキリストの血によってすべて退いていきます。この尊い血を、私たちの内に授けてくださろうと、神様は新しい契約の過越祭という命の真理を私たちに下さいました。

…「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。…一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」 マタ26:17-19、26-28

…イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。…それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」 ルカ22:7-8、19-20

過越祭は、神様が血で立てられた契約です。過越祭の小羊の血がなければ、災いが過ぎ越すこともなく、悪魔を退けることもできません。それゆえ、小羊の実体であるキリストは、過越祭のパンとぶどう酒を御自分の肉と血として与えてくださり、食べて飲めば、私たちがイエス様の内にいて、イエス様も私たちの内におられると約束されました。

それにもかかわらず、今日多くの教会は過越祭を守る必要がないと主張しています。本当に過越祭を守る必要がないのでしょうか?過越祭の小羊の血がなければ、サタンが侵入するのに最適な条件となります。このような理由で、神様は過越祭を守らない人は、神様の民の中から断たれると言われました。

イスラエルの人々に言いなさい。あなたたち、もしくはあなたたちの子孫のうちで、死体に触れて汚れている者、あるいは遠く旅に出ている者も、主の過越祭を祝うことができる。…汚れているのでもなく、旅に出ているのでもなくて過越祭を祝わない者があれば、その者は自分の民から断たれる。なぜなら、彼は定めの時に主に献げ物をささげなかったからである。その罪を自分で負わねばならない。 民9:10-13

神様の民の中から断たれれば、災いを免れられないだけでなく、最終的に救われずに地獄に行く運命になります。神様は御自分の民に、旧約には、過越祭の羊の血を家の入口の二本の柱と鴨居に塗ることで災いが過ぎ越すようにされ、新約には、過越祭の小羊の実体であられるイエス様の肉と血を食べて飲むことで、災いを免れて救いを受けられるようにしてくださいました。それゆえ、過越祭なしに神様の民になることはできず、過越祭を祝わなければ、その者は民から断たれるとはっきりと言われたのです。

キリストの尊い血に込められた崇高なる愛

では、なぜキリストの尊い血には災いを過ぎ越させる力があるのでしょうか?それは、その中に限りない犠牲と愛が内在しているからです。預言者イザヤは、700年後に登場されるイエス様の姿を次のように預言しています。

…彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。… イザ53:1-12

罪はすべて私たちが犯し、それによって受けなければならない苦痛は、すべてキリストが負われました。私たちの罪の荷を担われ、その代価として鞭打たれ、いばらに引き裂かれ、十字架につけられ命を捨ててまで犠牲になられることによって、私たちに対する御自身の愛を確かに証明されました。そのような犠牲と愛の結晶として流してくださった尊い血であったので、その事情を知っている滅ぼす天使たちや、邪悪な敵である悪魔でさえも、とうてい手出しをすることができないのです。

過越祭の契約の血の中には、肉を裂き血を流される苦痛の極みの中で、私たちに命を与えられたキリストの愛が込められています。その崇高なる犠牲の血と、その高貴で神聖な愛の御前に、万物がひれ伏すのです。

このような犠牲の血が、刻印として私たちに押されたので、その血の御力で災いがすべて過ぎ越すのです。

あなたの傍らに一千の人/あなたの右に一万の人が倒れるときすら/あなたを襲うことはない。あなたの目が、それを眺めるのみ。神に逆らう者の受ける報いを見ているのみ。あなたは主を避けどころとし/いと高き神を宿るところとした。あなたには災難もふりかかることがなく/天幕には疫病も触れることがない。主はあなたのために、御使いに命じて/あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。 詩91:7-11

旧約の過越祭の小羊の血は、柱と鴨居に塗りましたが、新約の過越祭の小羊の血は、新しい契約を通して私たちの額と私たちの魂に刻印として押されました。そのため、滅ぼす天使が災いを下そうと近づいてきても、私たちの内にあるキリストの血を見て過ぎ越すのです。そうして、一千の人、一万の人が傍らで倒れることがあっても、新しい契約の過越祭の真理の内で小羊の血を大切に持っている聖徒たちは、災いを免れ救われます。これが、過越祭によって、災いが過ぎ越していく理由です。

犠牲の愛に感謝する信仰

キリストのこの上ない苦痛によって、今の私たちがあるということを考える時、私たちは神様の御前に何一つ誇れることなどありません。私自身が立派で恐ろしい存在なのではなく、私を永遠の天国の子供になれるよう導いてくださった過越祭の小羊であられるキリスト、その犠牲の血が恐れ多くて驚くべき存在なのです。それゆえ、私たちは高ぶったり驕慢な心を抱いてはいけません。

あなたをほかの者たちよりも、優れた者としたのは、だれです。いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。 一コリ4:7

自分を信仰の中心におこうとするのは愚かな考えです。私たちが誇るのは、私個人ではありません。知識も、知恵も、聖書をよく理解する理解力も、すべてが神様からいただいたものです。

このことを悟った人々は、コリントの信徒への手紙一13章の御言葉のように、キリストの愛を抱き、いつも忍耐強く、柔和で、妬んだり、自慢したり、驕慢になることもありません。このような恵みを忘れて自慢したり、高ぶった心を抱くようになれば、神様が私たちの傲慢のゆえに密かに涙を流されるという御言葉もあります(エレ13:15-17)。

ある人々は、過越祭を守ればどんな罪を犯しても構わないのではないかと尋ねることもあります。これは聖書に対する非常に誤った見解です。決して罪を犯してはいけません。過越祭の尊い血は、罪を消す消しゴムの役割をしますが、罪は反対に尊い血を消す消しゴムの役割をします。神様がキリストの尊い血で、天の罪人たちの罪をすっかり帳消しにしてくださったのに、その純潔な尊い血を汚したら、その尊い血はもはやその人に効力を発することはありません。命の書に名が記録されたとしても、薄れて消えることがあるため、キリストが降臨なさる時まで、命の冠を固く守っていなさいと聖書は教えています。

崇高な恵みの中で私たちに許されたキリストの尊い血を、大切にしなければなりません。過越祭によって罪の赦しと永遠の命を得た、というすばらしい自負心と誇りを持っていても、その中に込められた犠牲の愛を理解していなければ、何の意味があるでしょうか?神様が施された恵みと愛を考えながら、どんなことにも感謝し、いつも喜ぶシオンの子供たちに皆さんなってくださるようお願いします。まだ過越祭を知らずに、救いから遠ざかって、神様の恵みから遠のいている世のすべての人々にも、速やかに福音を伝えて、キリストの尊い血が彼らにも刻まれるようにしなければなりません。天の父と母の犠牲でお許しいただいた尊い血のおかげで、今日の私たちがあるということを考えながら、さらに謙遜な心を持ち、天の父と母にいつも栄光を帰して、多くの祝福を受けられますよう願います。