神様の祝福をたくさん受けてください。姉妹、私は牧師の本戸明快と申します。お会いできて嬉しいです。よろしくお願いします。
こちらこそ、よろしくお願いします。牧師、私はまだ神様の教会に通い始めたばかりなので、分からないことが多いのですが、なぜ教会の名前が「神様の教会」なんですか? 神様を信じる教会なら、どこの教会も神様の教会ではないんですか。
どうしても、そう考える方が多いんですが…。姉妹、私たちの周りには色々な教会がありますよね。その中には神様が建てられた教会もありますが、そうではない教会もあるんです。
えっ!神様が建てられたのではない教会もあるんですか? それじゃ、教会に通う前に、どこの教会が神様が建てられた教会なのか、まず知らなくちゃいけませんね。
はい、もちろんです。
じゃあ、神様が建てられた教会は、どうやって探せばいいんですか?
それは特別、難しいことではないんですよ。神様の御言葉で記録された聖書を見ればいいんです。
どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。 使20:28
神様は私たちを救うために、この地に来られて教会を建てられました。そして羊飼いが羊の世話をして面倒を見るように、神様が教会を育ててくださいます。それでは、現在、たくさん存在する教会のうち、神様御自身が建てられ、面倒を見られる教会が必ずあるはずですよね?
そうですね。
神様が建てられた教会の名前は、「神様の教会」です。聖書では、そのように教えています。
神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、… 一コリ1:1-2
ここにあるように、使徒たちが通った教会の名前は神様の教会です。
神様の教会の前に書いてある「コリントにある」っていうのは、どういう意味ですか?
教会が建てられた地域の名前が、コリントだったという意味です。たとえば、東京にあれば、東京にある神様の教会と言うべきでしょう。どこの地域にあるかに関係なく、神様が建てられた教会の名前は「神様の教会」です。
神様の教会が出てくる節が、他にもありますか?
はい、また他の節も見てみましょうか。
あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。 ガラ1:13
ここを見ると、神様(=イエス様)を悟る前、使徒パウロは、イエス様を信じる聖徒たちが通っていた初代教会をひどく迫害したのですが、それを「神様の教会を迫害した」と言ってますね?イエス様が建てられ、使徒たちが通った教会の名前が、「神様の教会」だったのです。
あ、じゃあ、教会の名前は、必ず「神様の教会」じゃなきゃダメなんですね。
そうです。でも、看板に「神様の教会」と書いたからって、どこでも神様が建てられた教会になるのではありません。神様が建てられた教会には、それなりの特徴があります。
特徴ですか?
はい、先ほどご覧になった使徒言行録20章28節で、「神が御子の血によって御自分のものとなさった教会」とおっしゃったのを覚えておられますか?
はい。
聖書に記録された御言葉通り、真の神様の教会は、御子であるイエス様、つまり神様が犠牲の血を流して建てられた教会でなければなりません。では、その神様の血は何を意味するのか見てみましょう。
あなたは、わたしにささげるいけにえの血(新改訳:わたしのいけにえの血)を、酵母を入れたパンと共にささげてはならない。過越祭のいけにえは翌朝まで残しておいてはならない。 出34:25
わたしのいけにえの血とは、神様が犠牲になり流される血という意味ですが、それを後半では「過越祭のいけにえ」と言われました。過越祭のいけにえとは、過越祭に屠られる小羊のいけにえを意味します。旧約時代には小羊の血を流して過越祭を守ったんですよ。神様が過越祭の小羊の血を、「わたしのいけにえの血」とおっしゃった理由は、神様が過越祭の羊の実体として、この地に来られたからです。(ですから、神様にささげられるいけにえの血も、実は神様が犠牲になって流される血、神様のいけにえの血だということです。)私たちを救うために神様は「イエス」という名で来られて、十字架で犠牲になられる前に、御自分の血を過越祭の中に約束してくださいました。
弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。…一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」 マタ26:19-28
過越祭の中にはイエス様の血、つまり神様の血が約束されています。旧約時代も新約時代も、神様の血が意味するものはまさに過越祭です。
神様が建てられた、本物の神様の教会は、過越祭を守るということですね。
そのとおりです。「神様の教会」という名前で、新しい契約の過越祭を守る教会が、神様が私たちの救いのために建てられた真の神様の教会です。
過越祭だけ見ても、神様が建てられた「神様の教会」を見つけることができますね。聖書にこんなに確かに記録されてるんですから。
そうですね。教会の名前だけでなく、これからも神様と関連するものなら、何を確認するにしても、必ず聖書を基準にしなければならないということを、肝に銘じ、決して忘れないようにしてください。
「聖書を基準にしなければならない」という御言葉、いつも頭に入れておきます。神様が建てられた神様の教会で、神様の御言葉を学ぶことができるなんて、本当に嬉しいです!