親の関心事

ロシア・チェリャビンスク / カンヨナ

434 照会

私はロシアで過ごしています。しばしば会いに行けないので、韓国にいる両親に、私の写真を撮って送るなどして近況を伝えています。

去年の冬、初めて雹が降った日のことでした。絶え間なく降ってくる雹が珍しくて、手で雹を受ける様子を写真に撮って転送しました。写真を見た両親は、「そこはもう、雹が降るのか、寒くないのか」と聞きました。私は大丈夫だと、元気に過ごしていると答えました。会話は、いつもと大して変わらず、お互いの安否をやり取りして終わりました。

数日後、母から暖かい手袋を一つ買って送ると連絡がありました。ここが寒い地方なので言っているのかと思ったら、その理由が意外でした。写真の中で雹を受けている手にはめられていた手袋が、とても古く見え、ずっと気にかかったというのです。母は、娘の写真は、ただの写真には見えないと笑いました。

しばらくして今度は、両親が買ってくれたダウンコートを着て、写真を撮って送りました。すぐによく似合うという返信が来ました。ところが、次の日の朝、母からメールが届きました。父が早くブーツを買って送るように言ったということでした。私が履いていたのが、運動靴だったせいでした。真冬なのにブーツもなく、夏の靴を履いていると、父が心配したという話を聞き、少なからず慌てました。実は、その日近くのスーパーに行こうと軽装で出てきただけのことだったからです。平凡な私の日常を撮った写真が、親には特別な観察対象になることを改めて悟り、急いで返事を書きました。元々はブーツを履いているから、心配しなくていいと。

写真の中の娘の姿を簡単に見過ごさずに、娘に必要なものが何かを探しながら見ている両親の姿から、天の両親のお気持ちはどうだろうかと考えてみました。娘に対する心配と関心でいっぱいの両親のように、天の父と母も、一瞬たりとも子供たちから目を離されず、私たちの小さな声、小さな行動一つも注意深く観察されるからです。深くて細やかな霊と肉の両親の愛に心から感謝いたします。