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温かいひと言が家族を救う!

家族にしてあげられる、小さくても一番大きなことは、愛情と関心がたっぷり込められた温かい言葉がけである。

203 照会

韓国のことわざに「足のない言葉が千里を走る(言葉は慎まなければならない)」とか、「言葉一つで千両の借金も返せる(言葉の使い方によって不可能も可能になる)」などと言われている「言葉」。 言葉が持つ能力はこれだけではない。 言葉は家庭の幸せまで自由自在に変化させることができる。 ひと言で家族関係にひびが入り、ひと言で家族愛が深まる可能性があるからである。

その家の家族が使う言葉を見ると、その家庭がどれだけ団結しているのか、仲が良いのかが推測できる。 「お前はやること成すこと、どうしてこうもダメなんだ?」、「一日中家に閉じこもって何してる?」、「お前は誰に似てそんなに言うことを聞かないんだ?」と胸に突き刺さるような言葉を平気で言う家庭では、家族愛が芽生える訳がない。

誰でも温かい家庭を持ちたいはずである。 一日の日課を終えた後、疲れて家に帰ってきた時、家いっぱいに温もりが満ちあふれていればどんなに幸せだろうか。 家の中の温度を上げる方法は、温かい言葉を発することである。 いくら暖房設備をフル回転させたとしても、家に重苦しい沈黙の空気が流れていたり、家族間で冷たい言葉やどなり声、乱暴な言葉などが行き交うなら、心はまるで冷凍室にいる気分であろう。

さまざまなアンケート調査によると、回答者の半分近くは家族と会話する時間が1日30分未満だと答えた。 同じ家に住みながら、お互いに忙しくて会話をする余裕がないのも残念なことであるが、それより残念なことは、30分足らずの家族との会話を楽しいものにできず、コミュニケーション不可で終わらせてしまうことである。 その貴重な時間を、家族の不和を呼び起こすために費やすことほど悲しいことが他にあるだろうか。

必ずしも会話の時間が長ければいいというものでもない。 お互いに力と勇気を与え、愛を確認できるなら短い時間でも十分である。 「私はあなたを信じている」、「大丈夫、そんなこともあるよ」、「お前がいてくれてお父さんとお母さんは幸せ」。 このひと言で家の中の温度が上昇し、家庭の雰囲気を盛り上げる。ひいては家族を救う。

暴言は暴力そのもの

この頃は暴言が度を越している。 青少年たちは平気で悪口を言いまくり、上司や顧客の言葉の暴力に耐え切れずに職場を辞める人も少なくない。 放送ですら、何のはばかりもなく暴言が交わされ、匿名が保障されるサイバー世界においては、状況はさらに深刻化する。

コミュニケーションの専門家パトリシア・エヴァンスは、「言葉の暴力は自分が優位にあることをアピールする方法である。 物理的暴力と違い目には見えないが、はるかに大きな苦痛を与える。 犠牲者は混乱に陥り、自尊心が徐々に崩壊していく」と語った。 自分が優位にあるということを荒い言葉、攻撃的な口調で表現しようとするのは大きく間違っている。 その言葉を聞く相手は、表向きにはおとなしく聞いているように見えても、心の中では決して話す相手を自分より優位にあるとは認めない。

人がミスを恐れる理由は、もちろんそのミスにより周りに及ぼす影響もさることながら、他人から言われる言葉を恐れるせいでもある。 「これ一つまともにできないなんて!」、「あなたはどうせこの程度の人間ね」、「あんたを信じた自分がバカだった」。このような胸に突き刺さる言葉を先に思い浮かべ、萎縮するのである。 このような言葉で攻撃されると、たとえ過ちを犯したとしても、「なんだよ!これしきのことで!」「自分はどんなに完璧なのか見せてもらおうじゃないか!」と反感を覚えるのは当然である。

親から暴言を浴びて育った子は脱線しやすい。 成人でも暴言ひと言で簡単に動揺してしまうのに、未熟な子どもたちにはどれほど影響力があるだろうか。 「全てお前のためを思って言ってやってるんだ!」といううわべを飾った暴言は、いくら上手くいくようにと願って言う言葉でも、聞く人にストレスを与えるなら効果はゼロ、いやマイナスになる。 「家族だから聞きたくない言葉でも言ってやるんだ」、「私じゃなかったら誰が言う?」このような義務感によって平気で指摘をして、家族にストレスを与えたことはないか。 指摘しなければならない時は、相手の心が傷つかないように最大限温かい言葉で話さなければならない。 そうしてこそ、相手も愛と関心から湧き出た言葉だということを感じ、その温もりが結局、人を変化させるのである。

悪口、外見をけなす言葉、能力を無視する言葉、人格を冒涜する言葉など、暴言はまさに暴力である。 家庭を枯らして病気にさせる近道である。 銃や爆弾が家の中に積まれていたら、どれほど殺伐としているだろう。 言葉もそのような武器になり得る。 武器を使った代価は自分に降りかかる。 暴言は聞く人も、話す人も被害者にするからである。 私たちの脳は、口から出る言葉が自分に発する言葉なのか、他人に発する言葉なのか区別できない。 人に言った悪い言葉も自分自身に言った言葉として受け止めるのである。

一生良い言葉ばかり言うとしても、人生の時間はあまりにも短い。 「腹が立つ」、「死にそう」、「もううんざり」などの言葉で埋めつくされた人生は、決して幸せにならない。自分の言語習慣、家族と会話する時の口調を一度振り返ってみよう。

温かいひと言の威力

アイルランド・ダブリン「ハペニ橋」という鉄橋の手すりの上に、ある30代の男性が今にも落ちそうな格好で座り、涙を流していた。自ら命を絶とうとしていたのだった。 その時、橋を渡っていた16歳の少年ジェイミーが、その姿を見て「大丈夫ですか?」と声をかけた。 少年がしきりに話しかけると、男性は結局安全な場所に身を移し、最後には考えを改めた。 3か月後、少年は自殺を図った男性からメールを受け取った。 妻が息子を身ごもったのだが、その子の名を「ジェイミー」にするということだった。 その男性は未だに「大丈夫ですか?」というジェイミーの声が耳元でこだましていると言い、ジェイミーのひと言で自分は救われたと伝えた。

韓国サッカーの英雄と呼ばれるパク・チソン選手は、無名時代に足の負傷で試合に出場できず一人で更衣室にいた時に、「精神力が素晴らしい。 そんな精神力をもっていれば、必ず立派な選手になれる」と言ってくれたヒディンク監督の温かいひと言が、自分の人生を変えたと言った。

誰かのひと言で人生が変わった人は、一人や二人ではないだろう。 温かいひと言の価値は何ものにも代えられない。 「今日もお疲れ様でした」というひと言で、家長の肩が軽くなり、「あなたはどこの女優よりもきれいだよ」というひと言で妻のしわが伸びる。 「お父さん、お母さん大好き」、「(息子、娘に)愛してるよ」このひと言で親と子は世の中で一番幸せな人になれる。

温かいひと言で、怒りに満ちた人を怒りから解放させることもできる。 家族が怒って興奮している時に、「何を全く、それくらいのことで!」、「なんで私に八つ当たりするの!」、「一体私が何をしたって言うの!」と攻撃的な言葉を言うのは、火に油を注ぐようなものである。 そのような時は「ごめんなさい」、「あなた、とても怒っているみたいね」、「どうして怒ってるのか、私に言ってみて」と温かい言葉で怒っていることに共感し、話を聞いていると、すぐに相手も怒りを和らげることができる。

子供に良い服を着せ、良い塾に通わせる親よりも、良い言葉を言ってくれる親が最高の親である。たくさんのお金を稼いでくるよりも、妻に温かい言葉をかける夫が最高の夫である。 最高の妻もやはり、夫に温かい言葉で力を与える妻である。 温かいひと言には生命力がある。 その威力を生活の中で家族に向けて発揮してみよう。

ナチスによるユダヤ人大虐殺があった時代、アウシュビッツ収容所に向かう列車の中で弟が靴を失くすと、姉がカンカンに怒りながら言った。 「お前は自分のものもまともに管理できないの?まったくどうなってるんだか!」この言葉を最後に別れた兄妹は、その後二度と会うことはなかった。 その言葉は、姉が弟に残した最後の言葉になってしまったのだ。 一人生き残った姉は、アウシュビッツを抜け出しながら心に誓った。 「これからは私の一生で最後の言葉になっても恥ずかしくない言葉だけ言うようにしよう」と。

先が読めない私たちの生活。 今日、家族に最後に言った言葉を思い浮かべてみよう。 今、永遠に別れることになっても後悔しない言葉だったかどうか、そして家族に残す最後の言葉になってもいい言葉だったかどうか。