WATV.org is provided in English. Would you like to change to English?

ニカイア会議とアリウス主義

498 照会

A.D.325年ニカイア会議で、過越祭論争とともに重要な論題として扱われたのが、アリウスの主張についての論争だった。この論争は、多くの流血を伴うなど、暗い歴史で彩られさえもした。

アリウスの主張

アリウスはエジプトのアレクサンドリア教会の長老であり、特異な主張をして物議をかもした人だったが、彼の主張を整理してみると、次のようだ。

  1. キリストは体をまとったロゴス(ギリシャ語、λóγoς-「御言葉」、「真理」)だ。
  2. キリストは変わり、苦難を受けることができる。
  3. だから、ロゴスは変わることができ、神様と同等ではない。

アリウスの主張はイエス様が神様ではなく、神様によって創造された被造物であるため、永遠ではないということと、聖父の最初の被造物が聖子であるように、聖子の最初の被造物が聖霊だというものだ。

アリウスは大した宣伝家で、自分の教理のために引用する聖書の句節を、覚えやすい韻を踏む詩の形式にして広めたのだが、この歌は、街頭で歌われ、漁師たちまで覚えて歌うようになった。

これに対し、アレクサンドリア監督・アレクサンダーは、会議を開き、アリウスを除名処分にした。 アレクサンドリアから追放されたアリウスは、東方各地を旅行しながら、数人の監督を説得して自分を支持させた。

アリウスに同調する教職者たちに問題が拡散していきながら、使徒時代以降伝えられてきたキリストの「神性」は、アリウスによって脅かされた。かくして、問題はアレクサンドリア地域だけの問題ではなく、世界的な問題として広がっていった。

ニカイア会議

AD325年、「教会の守護者」を自称し、教会の上に君臨していたコンスタンティヌス皇帝は、過越祭を守る問題とアリウス問題を解決するため、監督たちをニカイアに集めて会議をするようにした。滞在期間の経費は、皇室が負担した。

当時、アリウスの反対側に立っている人がまさにアタナシウスだった。彼もやはり、アレクサンドリア出身のギリシャ人で、神様とキリストは同等であることを主張し、アリウスの主張に真っ向から対立した。

325年のニカイア会議に出席した300人余りの監督の中には20人余りのアリウス追従者がいた。コンスタンティヌス皇帝は全ての監督に、イエス・キリストは神様と同質だという内容のニカイア信条に署名することを命じた。そして、この内容に同意しなければ、異端として罪に定めるようにした。の会議でアリウスは罪に定められ、信条に署名していないリビアの監督セオナス、セクンドスとともにイルリア地方に追放された。

アリウス派の反撃

2年後、アリウスは悔い改めたと宣言し、彼と一緒に除名処分された監督たちも再び教会に戻った。 戻って密かに勢力を広げながら教理を教えていた彼らは、相手側に報復し始めた。

彼らは反対派に対して不道徳な人だと言ったり、コンスタンティヌス皇帝の母ヘレナの名誉を毀損したと告発したりした。 そして、アレクサンドリア教会の監督だったアタナシウスも攻撃して島流しにした。

アリウス主義を支持した皇帝

336年アリウスが死に、翌年、コンスタンティヌス皇帝が死んだ。アリウスの追従者らはアリウスの主張を公論化し、勢力を広げていった。この時、ローマ帝国はコンスタンティヌスの三人の息子によって統治された。コンスタンティヌス2世は西側を治め、コンスタンスは中部地方を、コンスタンティウスは東方を治めた。コンスタンティヌス2世はニカイア教理を支持したため、アタナシウスを流刑地から呼びよせた。コンスタンスもニカイア教理を支持したが、コンスタンティウスは違った。彼の統治地域はアリウス派の影響を受けるところだったため、アリウス派を支持したのだ。

しばらくして、コンスタンティヌス2世が死ぬと、西部地方はコンスタンスの支配下に入った。10年後コンスタンスも暗殺されてローマ帝国は戦争に巻き込まれ、結局、東方を治めていたコンスタンティウスによって統一された。コンスタンティウスはアリウス主義の支持者であり、アリウス派の皇帝がローマ全土を治めることになったのだが、彼は監督たちに、聖子は聖父に似ていないという教理を受け入れるよう強要した。ローマ監督リベリウスも流刑直前に、この新たな教理を受け入れた。アリウス派の皇帝がローマ全土を治めることになったのだが、彼は監督たちに、聖子は聖父に似ていないという教理を受け入れるよう強要した。ローマ監督リベリウスも流刑直前に、この新たな教理を受け入れた。

異教を信じ奉ったジュリアン皇帝

しばらくして、パリに駐屯したローマの軍隊がコンスタンティウス皇帝の命令に従わず暴動を起こし、彼らの指導者ジュリアンを皇帝として宣布した。ところが、両陣営の軍隊が接戦する前に、コンスタンティウス皇帝が死んだので、ジュリアンはローマ帝国の皇帝になった。彼はコンスタンティヌスの甥だったが、キリスト教を信じておらず、エリュシニア人の神秘宗教に心酔し、昔の異教信仰を回復するために努め、ローマ皇帝が持った大祭司長職(Pontifex-Maximus:ローマ宗教界の最高位職。大祭司として神と民を仲裁する職分である。以前からローマ皇帝は太陽神教の大祭司の職に就いていて、コンスタンティヌスと、その息子たちもこの権威によって教会に干渉した。)を利用して、異邦の神々に祭祀をささげたりもした。

ジュリアンはまず、すべての宗教を同等にみなす政策を展開した。すると、これまで疎外されていた異邦宗教が活性化し、異邦宗教の信者が増え始めた。皇帝はキリスト教を分裂させるため、彼ら同士争って大きな被害を被らせようという考えで流刑地に行っている監督たちを呼び入れた。しかし、アフリカ地域を除いては、今まで争っていた監督たちが、ジュリアンと異邦宗教を意識し、むしろ一つにまとまった。

ローマ帝国の分裂とアリウス主義国家の滅亡

ジュリアンが死んだ後、王位に就いたヨビアン皇帝はキリスト教徒だった。以降、キリスト教を信じる皇帝が続いて、彼らはニカイア信条にもアリウス主義にも寛大な方だった。しかし、5世紀半ばからローマ帝国は急激に没落し始めた。北側から下って来たゲルマン人たちがローマ帝国の領土を分割、占領したのだ。この時キリスト教の指導者たちが捕虜になって、彼らの中で宣教活動をしたり、あるいは、彼らを伝道するために志願して、彼らの中に入って行った。この時、アリウス主義者たちは、ヘルリ、バンダル、東ゴートなどの民族にアリウス主義のキリスト教思想を伝えた。しかし、この民族たちは、カトリック教を信じる勢力によって、順に滅ぼされた。

ニカイア信条とアリウス主義の影響

以降、ニカイア信条は、キリスト教正統教理として受け入れられた。世宗教暗黒世紀を主導したカトリックによっても、宗教改革以後登場した多くのキリスト教によっても、ニカイア信条は「三位一体」だと言い、基本教理として採択された。しかし、いまだにキリストの神性を否定して、聖父と聖子は本質上違いがあると主張するエホバの証人のような一部教派があるが、これは「現代版アリウス主義」と言えるだろう。

ニカイア信条の限界

ニカイア会議でアリウス主義を排撃し、聖父と聖子の同等という信条を採用したが、このニカイア信条もまた「聖三位一体」真理の核心に近づくことはできなかった。ニカイア信条では聖子イエス・キリストを「聖父の一人息子」、「聖父と同一の本質」と表現することで、「聖父=聖子」という概念を提示したが、その概念が曖昧だ。このため、今日まで三位一体を信じているというキリスト教徒だけでなく、神学者までが「イエス・キリストが神様の息子」であることは簡単に認めるが、「イエス・キリストは神様」という部分は、簡単に認められない状態になっている。

そのため彼らは聖父と聖子はする事が同じだから一体というのだ」などと、変な三位一体の教理を述べたりもする。

このように、聖書の知識がないために、教会の歴史にはキリストの人性を強調する類似アリウス主義が相次いで現れ、聖書を曲解することで、キリストの神性を罵倒する結果をもたらした。

また、ニカイア信条では、聖霊に対する説明が漏れている。したがって、ニカイア会議後のキリスト教は「聖父=聖霊」、「聖子=聖霊」という聖書的理解に至らず、聖霊の本質さえ悟れない状態で、有名無実な「三位一体」という用語だけ神学教理として伝えられてきている。

聖書の真理、聖三位一体

聖三位一体は神学教理として肯定されたり、否定されるような内容ではなく、初代教会から強調されてきた聖書の真理だ。真理は宗教会議を招集し、神学者たちの弁論を通じて得られるものではなく、神様が御自ら教えてくださった教えだ(ミカ4:1-2)。

サタンは、我々が神様を知る知識を持つことを決して望んでいない。神様を知る知識がなければ、滅びることを知っているので(ホセ4:1-6)、神様が肉体で来られることを否定するため、反キリストの霊を世に広めておいた。これに取りつかれた人々は、聖三位一体を否定したり、あるいは口では三位一体を是認するが、心では否定する二重的な信仰を持っている。

真理の聖霊が来られるまで、私たちが何を判断することができるか?その方が来られて、闇の中に隠されている秘密を明るみに出してくださったので、私たちが神様を知る知識に至れるようになり、滅亡から命へと移ることになったのだ(一コリ4:5)。

「彼らは皆、神様によって教えられる」(ヨハ6:45)という約束の御言葉に沿って、真理の御言葉を悟るようになった私たちは、聖父として、聖子として、聖霊として、世の終わりまで私たちと一緒にいらっしゃる神様に感謝をささげながら、世の万民に、神様を知る正しい知識を伝えて、彼らを救いの道に導くことに、全力を尽くさなければならない。