天国の言葉と救いの言葉

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シオンの家族たちがますます増えて、預言に従って多くの群れが集まってシオンに戻ってくるので、たまにシオンの言語習慣と聖書の教えを理解できず、まだ世の中で学んだ言葉の習慣通りに行う方もいるようです。私たちがどうすれば天国の言葉、救われる言葉を話せるのか、一度考えてみる時間を持ちたいと思います。

幸せな言語習慣が広める天国の幸せ

先日ある堂会での便りをメールでいただきました。その内容とは、その地域のサモと牧会者が神様の御言葉通り美しい信仰生活を送っているので、著者自身はその牧会者とサモが今後もこの教会の中にずっと居てほしいということでした。

もちろん、他の地域教会でも多くの恵みを受けましたが、ここに来てみると、シオンの家族が仕事をしながら幸せだという表現をいつもしていたということです。そのサモは洗浄した食器を積みながら「今、天に福を積んでいるのね。とても幸せ」という話をよくするそうです。天に福を積んでいるので私たちはどれほど幸せな人々なのかと言い、奉仕しながらでもいつも幸せそうだということです。神様が私たちと共におられ、私たちのためにこの地まで来られて新しい契約の真理を許してくださることで天国に行く道を開いてくださったので、これよりもっと嬉しくて幸せなことがどこにあるかと周囲の人々に繰り返しそのような話をするそうです。

その話を聞きながら自分も心が暖かく幸せになり、一方ではこのような思いで神様に申し訳ない気持ちになったそうです。

「ああ、私が今までこのように貴重な神様の祝福の中で生きてきたのに神様に感謝が足りず、あまりにも幸せを感じられずに仕事という義務感だけに包まれていたんだな!救われただけでも幸せなことであり、天使たちも羨ましがる福音の仕事を神様が私に任せてくださったのに、今まで神様から受けた祝福と幸せについてあまり表現していなかったので気づかずにいたんだ!」

その後、その家族も周りの人たちに幸せをもっと表現するようになったそうです。先立って仕事をするシオンの家族たちが些細な日常の中でも幸せだという話を互いに交わし、幸せをたくさん広めたので、皆が幸せに過ごしているという便りに私もとても心が暖かくなりました。

救いの大きな恵みを受けた私たちは、何事にも感謝し、幸せでなければならないのではないでしょうか。シオンでは悲しみと嘆きが逃げ去り、神様が楽しみと喜びを日々新たに創造してくださいます。喜びと楽しみを毎日お許しくださるところがシオンなのに、シオンに来てこれまで幸せを感じられずに過ごしたとすれば理由は他のところにはありません。くださった幸せを感じられなかったり、足りないと思って愚痴をこぼしたりするのは、私たちの天国の道を邪魔しようと敵のサタンが注入しておいた誤った考えと言語習慣のためです。歪んで歪曲された視線、誤った言語習慣の中で生きていると、神様の恵みに気づかず不平不満が出てくるしかありません。

天国に向かって羽ばたく幸せな人々

私たちは今日も天国に向かって進んでいる幸せな人々です。神様は私たちにこの地で罪の赦しを受けられる機会の時間を許してくださり、私たちが悟って天国に行くまで待っていてくださっています。

飛行機に乗って初めて海外に行く時は、みんな気分がウキウキします。実際、機内にいる時間はそれほど楽しいものではありません。飛行機旅行をしたことのない人の考えでは楽しいことが多いかと思われますが、乗ってみると運動をしたり活動できないほど椅子だけがぎっしり詰まっていて、飛行時間中ずっと身動きが取れず座席に座って行かなければなりません。それでもまったく別の世界に接するときめきと期待のため、心は希望と幸せの中に浸ることができます。

海外宣教のために初めてアメリカに行く時、そうでした。飛行機に乗って行く間、胸がとてもわくわくしました。長い時間座っているのに体が疲れたり大変ではなく、「神様の福音がいよいよここまで伝播されるだろう」というときめきで喜びだけがあふれていました。行ってどんな出来事に出会うかは分からないが、神様が共におられるという祝福の御言葉を持って12時間ほどずっと座って身動きもせずに行きましたが、その時間が全く長いとは感じられませんでした。

同様に、私たちは地球という巨大な飛行船に乗って天国に向かって今も飛んでいます。人は感じませんが、1年という時間の間、地球は太陽を中心に途方もない速度で公転しています。宇宙を飛ぶ時間の中で、父と母が準備しておかれた天国を思って、そこで「王の系統を引く祭司」(一ペト2:9)の席が私に与えられるというときめきがあれば、どんなに幸せでしょうか。

世の中の人々はもう一年、年を取ると人生のはかなさを感じると言います。本当の幸せを知らずに生きる人生は虚しくならざるを得ません。しかし、私たちには永遠の幸せを伝え、教えようと御自ら肉体をまとわれてこの地まで来られた神様が共におられます。神様は御自分の命よりも大切にされている子供たちに最も有益で良い贈り物だけを与えてくださるのに、それを感謝と喜びで受け取る人がいるかと思えば、他の人にはたくさん与えてなぜ私はこれしかくれないのかと愚痴をこぼして受け取る人がいます。今、この時間からは神様がくださった祝福をいつも幸せの中で受け入れられるようにしてみましょう。

災いも祝福も考えの結果

シオンの家族はほとんどの人が悟りを持ち、日々幸せな気持ちで信仰の道を守り歩んでいると信じています。しかし、たまに悟りが足りない人は神様の御心を行うことが難しく感じられ、大変だという話が出たりします。

大変だという言葉が出た瞬間、それからは幸せの扉が閉ざされてしまいます。災いも、祝福もすべて舌から、言葉から始まるので、母もいつも徳を立てるのに役立つ言葉、祝福される言葉をたくさん言いなさいと言われました。

この地よ、聞け。見よ、わたしはこの民に災いをもたらす。それは彼らのたくらみが結んだ実である。彼らがわたしの言葉に耳を傾けず/わたしの教えを拒んだからだ。 エレ6:19

災いも考えの結果として起こり、祝福も考えの結果として施されます。荒れ野40年の生活の中で神様が同じ環境と物資を提供してくださったのに、ある人からは感謝の言葉が出て、ある人からは恨みと不平の言葉が出てきました。それも彼らの考えの結果でした。

罪によって地獄に向かう人生を生きていく人々とは異なり、私たちは罪の赦しを受けて天国に向かう人生を生きています。福音を伝える人は伝えるままに、宣教する人たちを助ける人もその仕事をするままに、各自が行った通りの福を受けます。

聖書では、私たちは福音の兵士に例えられています。軍隊にも銃を持って戦争する兵士だけがいるのではなく、食事を提供する兵士、物資を補給する兵士もいるように、世界中のシオンの家族がいろいろな役割を担い、各分野で一生懸命働いています。そのような家族が集まって一つになった時、霊的戦いで勝利することになるでしょう。

キリストの体としてシオンで私たちが引き受けた使命はどれ一つ重要でないことはありません。「私だけどうしてこんなことをしなければならないの」というより「私は天国の祝福を積み重ねているんだ」と考えるなら、その考えの結果として祝福が臨むでしょう。本当に幸せで祝福された仕事を任せてくださったのに、それを知らずにしきりに不平を言うならば、神様がその人から祝福を取り上げることもあります。

ヨブの信仰と救いの言葉

ヨブの場合を一度考えてみましょう。サタンの妨害によって、ヨブはその多くあった家の財産と財物を一夜にして失い、愛する子供たちまで皆失う途方もない苦痛と苦しみを経験しました。そのような残念な状況が起きた時も、ヨブの言葉は次のようでした。

ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。 ヨブ1:20-22

神様がサタンの前で自慢するほど、ヨブの信仰は素晴らしいものでした。神様を熱心によく信じて欠かけたところのない信仰生活をしてきましたが、そんなヨブの家庭にもサタンの試みが入り込みました。試みが来たとき、ヨブの妻は神様を信じることをやめるようヨブに言いました。「あなたが信じる神様が本当にいらっしゃれば、あなたを助けてくださるはずなのに助けてくれないのを見ると、神様は存在しないのだ。だから神様をののしって背を向けなさい」というのでした。

同じ状況でヨブはそうは思いませんでした。私たちがこの地に来る時、何も持たずに手ぶらで来たがすべてをくださった方が万物の主人であられる神様なのに、主人がしばらく僕に物を預けておいて、時が来て持って行かれたからといって、それをなぜ恨んで不平を言うのか、くださった方も神様で、収められた方も神様なので、神様の名が賛美されて当然だと妻を諭しました。

もし妻の話を聞いて衝動を受けたヨブが、「そうだね、私が神様に今までどれだけ忠誠を尽くしてきたというのか、毎日祭壇に献げ物をささげて、祈りも本当に熱心にしてきたのに、神様が私にこのようにされるなんて?」このように話したと仮定してみましょう。それなら、私たちが天国に帰ったとき、そこでヨブを見ることはできないでしょう。しかし、ヨブは妻が衝動的なことを言ってもかえって妻を悟らせてあげました。このようにしてヨブの家庭には後日、過去よりさらに大きな祝福が臨んだという事実を私たちがヨブ記を通じて確認することができます。

言葉で義とされ、言葉で滅びの宣告を受ける

2千年前にこの地に来られたイエス様も、ファリサイ派の人々たちに彼らの偽善と不法を指摘されながら、彼らの善良でない言葉に対して責められました。

蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出してくる。言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。」 マタ12:34-37

口から出てくる言葉は、心に満ちあふれて外に出てくるものだと言えます。心に善を築いた人は善い言葉を話し、悪を築いた人は悪い言葉を出すことになります。イエス様は審判の日に各自がこれに対する尋問を必ず受けることになり、言葉で義とされて言葉で滅びの宣告を受けることになるとおっしゃいました。

「神様の内にいさせていただいて、私たちはとても幸せです。」

「神様と共に福音の役割を担うので、私たちはとても幸せです。」

「神様が準備しておかれた天国の故郷に帰れるようになるので、私たちは本当に幸せです。」

私たちの口からはこのような喜びと感謝の言葉が絶えず出なければいけません。世の中の人々は天国も知らず救いの望みもなしに生きていますが、私たちは毎瞬間、神様に仕え神様の内で生きていくので、すべてがとても幸せなシオンの家族です。

子らよ、わたしに聞き従え。主を畏れることを教えよう。喜びをもって生き/長生きして幸いを見ようと望む者は舌を悪から/唇を偽りの言葉から遠ざけ悪を避け、善を行い/平和を尋ね求め、追い求めよ。主は、従う人に目を注ぎ/助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。主は悪を行う者に御顔を向け/その名の記念を地上から絶たれる。 詩34:12-17

命を慕い、福を求めるなら舌を悪から禁じ、唇を怪死した言葉から禁じなさいと言いました。十二の偵察隊の教訓からも、私たちはこの言葉をよく理解することができます。

かつてイスラエルの60万の家長が荒れ野で滅びたのは敵軍の攻撃のせいでしたか?違います。カナンの地を偵察して帰ってきた偵察員たちの誤った言葉のためでした。

彼らはカナンの土地を許すという神様の約束も考えず、「彼らはあまりにも巨大な巨人種族であり、私たちはいなごのようで、彼らは人のようだった」、「戦っても勝ち目がなさそうだった」という言葉を民に広めました。イスラエルの民たちは昼夜を問わず泣きわめき、神様が自分たちをこの荒れ野で全て死なせるためにエジプトから導き出したのではないかと恨みました。その結果、神様がイスラエルの20歳以上の男性のうち、ヨシュアとカレブ以外は誰もカナンの地に入れないようにされました。結局、誤った考え、誤った言葉が60万のイスラエルの家長を滅亡させた結果を生んだのです。

天国の言葉、救いの言葉を使う天国の家族

信仰の道を正しく歩んでいった先進たちの歴史を眺めると、その中に神様と共にした幸せの要素が多分にあります。幸せだから感謝が出て、幸せだからどんな患難も恐れなかったのです。彼らは使徒パウロの言葉のように、「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」と自信を持って言うことができました(ロマ8:35-39)。

この世のどこで、これほど大きくて抱えきれないほどの幸せを私たちが受けることができますか?私たちはシオンで食器を一つ拭いても、霊の兄弟姉妹のために父と母がするように頼まれた幸せな仕事をしています。神様が共におられるところですることですから、より幸せに、より喜んで一言でもヨシュアとカレブのような言葉を話さなけばなりません。それがまさに天国の言葉であり、人類を救う救いの言葉です。

私たちに与えられる日々の時間は、神様が私たちを天国に導かれる過程です。その過程の中で、小さな不便さと些細な問題で愚痴をこぼすよりは、ときめきと幸せを感じることができなければなりません。神様と共に歩む中で、いつも感謝し幸せを感じられない人々を悟らせることもできなければなりません。

10人の偵察隊が誤った言葉で皆を落胆させましたが、ヨシュアとカレブは「なぜそんなことで苦しんでいるのか。紅海を分けられた権能の神様が私たちと共にいらっしゃって、彼らの神は彼らから去ってしまった。彼らは私たちの餌食だ。」と力強く強調しました。この言葉がイスラエルの民にとって天国の言葉であり、救いの言葉でした。また誰がいくら心を衝動しても乱れることなく神様に栄光を帰したヨブの言葉も天国の言葉、救いの言葉でした。

いつも神様を思う言葉を話して、神様に栄光と感謝をたくさん捧げましょう。そのようにして幸せがよりシオンのすべての家庭にあふれることを願います。幸せは隠してしっかり包んでおくのではなく、開けて開放しなければなりません。考えの中で幸せを見つけて発見し、口でその幸せを認める時、神様が考えの結果として祝福をくださるでしょう。「神様が私たちと共におられるのに何ができないというのか」、「神様が導いていかれるシオンですることなのに、これがどれほど誇らしいことか」という考えを常に抱いて、「神様が私たちと共にいてくださってとても幸せです」というこの言葉から始めて神様に感謝をたくさん差し上げましょう。

私たちは父も母もおられるので幸せな天国の家族です。多くの人々が不透明な未来によって不安な人生を送っていますが、私たちには神様が準備された永遠の天国があります。その世界に向けて感謝の気持ち、幸せな気持ちで信仰のレースを一生懸命走って競争してください。誤った考えと誤った言葉はすべて吹き飛ばし、天国が私たちの前にあるという嬉しい気持ちでいつも天国の言葉、救いの言葉を宣べ伝えるシオン家族になってください。