御母様の教訓の中で5番目の教訓

「思い上がる心とは、相手に要求する心です。」

408 照会

人は、自分が当然受けるものと期待していた待遇やもてなしを受けられない時、さびしさを感じます。このようにさびしく思う気持ちは、相手が私を認めてくれ、仕えてくれることを願う気持ち、すなわち思い上がる気持ちから始まっています。

私たちは、天で罪を犯して降りてきた罪人たちです。だから、決して思い上がる心を持ってはいけません。罪人には認められる権利も、待遇を受ける権利もないからです。この世の制度から見ても、大罪を犯した罪人は監獄に監禁され、すべての権利を剥奪され、自由を拘束されます。

ところで、私たちは時々、私たち自らが霊的な罪人だという事実を忘れてしまいます。罪人であることを忘れると思い上がり、仕えられることを願うようになります。他の人が自分を認めてくれなかったり、仕えてくれなければ寂しい思いをし、不平不満を抱くようになります。そうしていると、神様に感謝の心を失って、結局救いとも遠くなります。

したがって、救いを望む人なら、思い上がろうとする気持ちや、寂しい気持ちになるとき、自らが罪人であることを想起し、罪人に救いの祝福をくださった神様に感謝する気持ちを持つように努力しなければなりません。

また、私たちは低い姿で犠牲になられた神様のことを考えなければなりません。最も尊敬されるべき神様は、私たちの救いのために、敬拝と称賛の代わりに嘲弄と蔑視を受け、さげすまれ、犠牲になる人生を送られました。

それなのに、どうして私たちが仕えることを望み、兄弟姉妹の待遇に不満を感じることができますか?一番低い位置で仕える模範を見せてくださる神様を思って、神様の教え通り自らを低める謙遜な心を持とうと努力する時、さびしい心は雪が解けるように消えて神様に対する感謝と賛美が出るでしょう。

考えてみましょう
御母様の教訓の中で5番目の教訓は何ですか?
寂しい思いを克服する方法について話してみましょう。