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皆の救いのための驚くべき旅路

カナダ エドモントン / ジョシュア

173 照会

生活の中で繰り広げられる数々の出来事の中には、大したことのないハプニングもあれば、人生を根こそぎ変えることまであります。私には、妻との出会いが一生一大の出来事でした。妻を通してエロヒム神様を受け入れたからです。

私の妻は南米のコロンビア出身です。高校生の頃、両親についてカナダに移住しました。最初、ウィンザーという都市に住んだ妻の家族は、しばらくしてケベック州にあるモントリオールに行こうとしたのですが、計画が崩れモントリオールではなく、エドモントンに住むことになりました。当時高校生だった妻は、エドモントンの多くの学校の一つに進学しました。まさに私が通っていた学校でした。

高校生時代から良好な関係を維持してきた私たちは、大学に入り、私がエドモントンを去って戻って来る時まで恋人として互いに信頼し、幸せな未来を思い描いてきました。そんなある日、妻が驚きの聖書の御言葉を聞いたと、私が一度も聞いたことのない話をし始めました。過越祭、天の母…伝統的なクリスチャンの家で育った私としては到底受け入れられない話でした。

神様の教会で本格的に信仰生活を始めた妻は、私が婉曲的に断ったにもかかわらず、毎日のように聖書の御言葉を教えてくれました。私だけではなく自分の母親、弟など、家族に対しても同じでした。いくら愛する人であっても、相手の宗教的な信仰まで変化させるのは難しいので、私の観点では無意味な行動のように見えました。しかし、一緒に救われることを願う妻の心が、私の視点を変えました。御言葉をずっと続けて聞く間に、凍りついていた私の心は徐々に溶け、いつの間にか足がシオンに向かっていました。程なくして私は、エロヒム神様の前に頭を下げ、新しい契約の真理を受け入れました。

御言葉を調べれば調べるほど、妻の家族を遠いコロンビアからカナダへと導いてくださったこと自体から、私たちを導こうと神様が備えられた過程だという気がしました。ところで、救いのために用意された過程は、これで終わりではありませんでした。いや、むしろ本当の始まりということができました。天国の聖民としてふさわしい信仰と愛と希望を抱いて神様の性質にあずかることができるように、神様の特別な道を私たちの前に繰り広げてくださったからです。それはまさに「福音」という名の祝福の道でした。

神様の恵みの中で家庭を築いた私たちは、熱心に宣教しました。しかし、妻に比べて私は何か生半可な感じでした。聖書の御言葉を深く知ることができず、誰かを教えてみたことはなお一層なかったので、何をどうするべきか分かりませんでした。真理を悟れず、救いに進み出て来れない彼らが、ただ哀れに思えるだけでした。

何が何でも人々に私たちの教会に行ってみようと勧めていたところ、ある友人が「教会に行く前に、あなたが聖書を最初に教えてくれれば良い」と言いました。どんな御言葉を伝えるべきか、よく分かりませんでしたが、図書館で事前に聖書を勉強して、友達に勉強した内容を教えました。私の言葉をすべて聞いた友人は「人生は本当に意味があるものだった。神様は本当に存在されるんだな。」と言って涙まで浮かべました。そのおかげで、神様の子どもになったマシュー兄弟は、福音の働き手として成長し、今では支教会の運営を支援しています。

神様がお許しくださった魂たちの世話をしながら、本当に多くのことを学びました。一人の魂を命へと導くまで、まず持たなければならないのは、魂を憐れみ気に掛ける心でした。それは「かわいそうに思い、面倒を見る」心です。文字通り死にいく魂を世話して生かすには、その魂について、よく知る必要があります。現在どのような御言葉を必要とするのか、何を気にしているのか、心に傷があるのかないのか、真理を妨害する全くでたらめなデマを誰かに聞いてはいないか、細かい関心と真心が要求されました。

イアン兄弟の場合には、より多くの祈りと関心が必要でした。兄弟が、生まれて初めて聞く御言葉に混乱していた上に、肉の家族たちも快く思わなかったからです。兄弟に会うことができず、連絡も着かない時はとても苦しかったです。私の意のままにならない状況のせいで、腹が立つこともありました。その時間を過ごしながら、福音の宣教者は相手を憐れむ心はもちろん、無限の愛と犠牲、忍耐、柔和、慈悲、節制など聖書に記録されたすべての教訓を身につけて実践しなければならないということが胸に染みて分かりました。

事実、この徳目は子供の世話をする母親の心と行動そのものです。母は子供を育てる時に、子供を自分に合わせるのではなく、子供の目の高さに自分自身を合わせます。また、子供が病気になったり怪我をしないように細かく観察して、必要なすべてのものを供給します。何よりも、母親は自分よりも子供のことをより考え、どのような場合でも子供についてあきらめることはありません。

あらゆることに否定的で忍耐強くなく、些細な事でも簡単に腹を立てていた私には、それこそ内面の変化が必須でした。頻繁に自分自身を見つめながら、角立つ性格を整え、足りない部分を埋めていく努力をしなければなりませんでした。ゆっくりでも私たちの角立つ性質が整えられる間に、イアン兄弟は神様の御心を正しく悟って固い信仰を立て、真理を好ましく思わなかった兄弟の父親と家族もシオンに導きました。

いつのまにか福音宣教者として生まれ変わり、天国の祝福を襲っているイアン兄弟の家族だけでなく、妻の母と妻の兄弟、弟、友人など大切で愛する人々も一緒に天国を望みながら、熱心に福音を伝えています。一人、一人を救いの道に導き、聖書の預言を成す働き手として育てるために、神様がどれだけ多くの旅路を準備されたのか考えてみると、言葉で言い表すことができないほど感謝の気持ちでいっぱいです。それぞれ福音に献身する家族を眺めながら感動する度に、天の家族を早く見つけて神様の恵みに少しでも報いようと、何度も決心します。

福音の協力者としての使命を担っている今は、さらに重い責任があります。いつだったか、私と一緒に御言葉を勉強していた兄弟が、私を指しながら「この方のように福音を伝える人になります!」と言った瞬間、ハッとしました。私の行動が誰かに良くも悪くも模範になる可能性があるという事を深く考えたことがなかった私としては、多くのことを悟らせてくれる言葉でした。

家族を正しい道に導くための最良の方法は、自分が先に正しい道を行くことでした。真理がいくら確かでも、それを伝える私が正しく行動しなかったら、信頼するのはなかなか難しいからです。

誰かに良い模範を示すことは容易ではないことです。状況と条件に応じて感情や言動を節制できない場合もあり、思わぬ試練と逆境の前で、目の前が真っ暗になったり、どうすべきかわからず座り込みたくなる時もあるでしょう。そういうときほど、なおさら母に頼りながら、私たちの救いのために涙と祈りを惜しまれない母の愛こがれる心を推し量ろうとします。母が模範を示してくださった教訓が、私の信仰の中に完全に溶け込む時、神様の性質を備えた預言者として神様の福音の使命を果たすことができるでしょう。

天の子に与えられた人生という時間と福音の道で経験する一連の事柄は、母を悟って母のすべてを学ぶ過程と信じています。シオンの家族に尋ねたいと思います。母を受け入れることができるよう、神様は皆さんにどんな特別な過程を準備してくださいましたか?母に似ていくこの一日一日が、後日、天国ではどのような姿として記憶されるでしょうか?愛する天の母の胸の中で、皆さんとむつまじく対話する日が待ち遠しいです。