WATV.org is provided in English. Would you like to change to English?

​預言を知ることと信じること​

マタイによる福音書2章1-15節

367 照会

イエスがお生まれになった時、東方から来た三人がエルサレムに入る。

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか?私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来ました。」

ヘロデ王とエルサレムの人々が彼らの話を聞いて驚く。王が祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、問いただす。

「メシアはどこに生まれることになっているのか?」

「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。ユダの地、ベツレヘムからイスラエルを治める牧者が現れると言いました。」

ヘロデは東方から来た人々を呼んで、星の現れた時期を確かめベツレヘムに送りながら頼む。

「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう。」

ところがイエス様を拝んだ後、「ヘロデのところへ帰るな。」と夢でお告げがあったので、彼らは別の道を通って帰って行く。占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言う。

「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」

ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、すべて聖書の預言通り成されたことである。

聖書の預言が成される過程で、決して偶然はない。

神様の預言は人が知っていようが知らなかろうが、一寸の誤差もなく、おっしゃったそのとおりに成される。

信仰とは、単なる知識ではなく、預言の確実なる成就を信じて、それに応じて行動することである。

メシアがベツレヘムにお生まれになるという預言を知っていながらも、その預言がどのように、誰によって成されたのか調べようとする考えすらしなかった祭司長たちや律法学者たちは真の信仰の所有者たちではなかった。

預言を知っていながら王位を奪われることを恐れ、キリストに向かってあえて刀を向けようとしたヘロデ王の行動は言う価値もない。

今この瞬間にも神様の預言は宇宙の秩序と人々の心を動かし、聖書に記録された通り成し遂げられている。

預言を知っているだけの人ではなく、信じて従う人になろう。