WATV.org is provided in English. Would you like to change to English?

災いと過越祭

253 照会

朝起きると、数多くの災いと災難のニュースがメディアを通して私たちに伝えられます。様々な災いの中でも最大の災いは何でしょうか?過越祭はどのような災いを免れさせてくださるために神様が作っておかれた処方薬でしょうか?

世の中で起きる災いは、いくら長く持続するとしても、人の寿命を越えることはありません。しかし、聖書を見れば、世々とこしえに苦しむ災い、その苦痛があまりにも甚しくて、死にたくても死が人々を避けていく災いがあります。神様が私たちに新しい契約の過越祭の真理をお許しになった裏には、その凄まじい災いから私たちを救ってくださろうという切なる御心があります。

世々とこしえに続く災い

世の中には思いもよらぬ事故や天変地異で苦しむ人々がいます。疾病で苦しむ人々もいれば、生活問題で困難を抱えている人々もいます。生きていれば、このように誰もが様々なケースの大小の災いに出くわすことがあるでしょう。

しかし実際は、世々とこしえに苦難を受けるという最大の災いの中から救おうとされるのが、神様が過越祭の真理を立ててくださった究極的な目的だと言うことができます。まず、聖書で述べている最大の災いについて調べてみましょう。

しかし、獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緖に捕らえられた。このしるしによって、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者どもは、惑わされていたのであった。獣と偽預言者の両者は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。残りの者どもは、馬に乗っている方の口から出ている剣で殺され、すべての鳥は、彼らの肉を飽きるほど食べた。 黙19:20-21

そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこにはあの獣と偽預言者がいる。そして、この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる。 黙20:10

ヨハネの黙示録で述べられている「火と硫黄の池」は、簡単に言えば地獄です。聖書は、魂が世々とこしえに祝福と喜びを享受する天国が存在する一方、世々とこしえに昼も夜も苦しむ地獄が存在するという事実も同時に証ししています。

この災いにだけは決して遭ってはいけません。世の中でしばらくの間苦しむ災いも辛いことであり、そのような災いの中でも神様が御手を差し伸べて保護してくださいますが、一番重要な問題は、世々限りなく苦痛に苛まれるこの災いから救いを得ることです。子供たちが地獄の災いだけは受けないことを願われたので、神様が御自ら肉体をまとってこの地にいらっしゃいました。

地獄に対するイエス様の教え

2000年前、イエス様は天国の福音を宣べ伝えられながら、人々に魂の世界の理を知らせてくださいました。「地獄には決して行ってはならない」という御言葉は、キリストの教えの中でも重要な部分を占めています。

もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。 マタ5:29-30

… もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。」 マタ18:7-9

地獄は極めて耐えがたい苦痛にあう場所であり、そこで経験するすべてのことは、文字どおり甚だしく大きな災いです。地獄の災いだけは、決して受けてはならないと神様は繰り返し切実に頼まれました。

神様が導いてくださる道に従って行かなければ、地獄の火を避けることはできません。2000年前イエス様が、表面的には神様を信じるかのように「主よ、主よ」と口では言うが、心は神様から遠く離れていたファリサイ派の人たちや律法学者たちを叱責されたのも、このためでした。

律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。 マタ23:15

『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。… 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。 マタ23:10-13

当時の宗教指導者たちは、神様の法に従うことなく不法を行うことによって、天国の門を閉ざし、自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせないよう妨害し、改宗者を一人作ると自分より倍も悪い地獄の子にしていました。イエス様は彼らを厳しくとがめられました。彼らを偽預言者と定められ、彼らに付いて行けば滅びることになり、地獄の罰を免れることはできないと厳しく戒められました(マタ7:15-23、23:33)。

今日、数多くの教会がありますが、私たちが聖書を調べて真理どおりに行う教会を見いだすべき理由も、このためです。神様が聖なる御自分の体を犠牲になさって、私たちを罪と死の鎖から救い出し、地獄の災いから解放してくださったにもかかわらず、またもや不法を犯して罪に縛られるようになってはいけません。真理に従わない人々の終着地である地獄で受けるその苦痛は、とても言い表せぬほど極めて甚だしいものです。この災いにいったい誰が耐えられるでしょうか?

地獄の災いを免れさせる新しい契約の過越祭

それゆえ、イエス様は「むしろ体の一部分を失っても、地獄には決して行ってはいけない」という教えを下さいました。私たちに、地獄の災いを免れさせるために立てられた真理が、新しい契約の過越祭です。

過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。… 二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緖だった。イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。 ルカ22:7-15

なぜイエス様は過越祭の食事をしたいと、切に願われたのでしょうか?イエス様は失われた者を捜して救うことを願われました(ルカ19:10)。聖書では、魂が地獄に落ちることを滅亡と言い、そこから救済されることを救いと表現します。私たちを地獄で受ける苦しい災いから免れさせるために、この地へ来られたイエス様が、守りたいと切に願われたのがまさに過越祭でした。

それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。 ルカ22:19-20

過越祭にイエス様の聖なる体と尊い血を象徴するパンとぶどう酒を弟子たちに食べさせ、飲ませられながら、これを「新しい契約」だと言われました。ここで私たちは、なぜイエス様が過越祭に新しい契約を立てられたのか考えてみる必要があります。過越祭という単語の「過越」は、何かが過ぎ越すという意味ですが、何が過ぎ越すのかと言えば「災いが過ぎ越す」という意味です。

… これが主の過越である。その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。 出12:11-14

過越祭の儀式の起源は、約3500年前の旧約時代にさかのぼります。出エジプト当時、イスラエルの民は過越祭に小羊をほふって、その血を家の入り口の二本の柱と鴨居に塗っておきました。すると、滅ぼす天使が血を見てその家を過ぎ越すように、神様とイスラエルの民の間で約束がなされていました。

このように過越祭は、災いを過ぎ越させるという意味を持っています。災いの中でも最大の災いは、エジプトに下された十の災いでもなく、最後の七つの災いでもなく、地獄の災いです。過越祭のパンとぶどう酒は単なるパンとぶどう酒ではなく、地獄の災いを免れさせるという契約が込められています。

それゆえ、イエス様は苦難を受られる前に、弟子たちと共に過越の食事をしたいと、切に願われました。翌日には十字架に釘付けにされ、大勢の人の前で羞恥にさらされ、嘲られ、苦痛に遭うことを既にご存知でした。近づく苦難を思いながら、ゲツセマネの園で祈られるとき、額から流れる汗のしずくが血のしずくのようになったと言いますから、どれだけその苦痛が甚だしいものだったのか推測できます(ルカ22:39-44)。このような痛みを負われながらも、私たちを地獄から救い出され、命の道に導いてくださったのですから、この過越祭の価値は決して小さいとは言えません。

除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。… 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。 マタ26:17-19、26-28

災いを免れさせる過越祭に、イエス様は罪の赦しの意味を付与されました。罪が赦されたので、地獄の災いを免れて、神様の国に帰ることができるようになったのです。私たちを地獄の苦痛から救ってくださろうとこの地へ来られ、すべての苦難と犠牲を甘受なさり、新しい契約の過越祭を立てられたということを思うとき、神様の愛と御恵みは、とうてい言葉では表現しきれるものではありません。

永遠な天国の嗣業の約束、新しい契約

今日私たちが守っている過越祭は、ただ肉的な命を生かして、肉的な災いから救ってくれる儀式ではありません。過越祭は最大の災いである地獄の災いから私たちを贖ってくださるために、神様が御自分の尊い血で立てられた、真理の中の真理です。

預言者エレミヤは、神様が御自分の民のために、罪を赦す新しい契約を立ててくださることを預言しました。

見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。… しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。 エレ31:31-34

預言どおり、イエス様が過越祭の夕方に新しい契約を立ててくださいました。新しい契約を宣布なさるまで、このことが成し遂げられるのを切に願ってお待ちになりました。神様の肉と血で立てられた新しい契約なしには、子供たちが地獄の災いの中から、決して自由になることはできなかったのです。

その大きな災いから私たちを救われようと、御自身の体をいけにえとして献げられました。そして、新しい契約を通じて永遠の嗣業を受け継ぐという約束も与えてくださいました。もはや死がなく、悲しみも痛みもない世界、平和が満ちあふれて、永遠の命の祝福と喜びが無限に続く天国に導かれると約束されました。このような御恵みによって、今私たちが新しい天と新しい地を待ち望みながら生きています(黙21:1-4、二ペト3:13)。

こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。遺言の場合には、遺言者が死んだという証明が必要です。遺言は人が死んで初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は効力がありません。だから、最初の契約もまた、血が流されずに成立したのではありません。 ヘブ9:15-18

永遠の嗣業の約束を下さろうと、神様が御自ら肉の衣をまとわれ、この地まで来られて新しい契約を立ててくださいました。一人でも多くの魂を地獄に引きずり込もうとするサタンは、新しい契約の真理をなくそうと死力を尽くしてきました。サタンは新しい契約の過越祭をなくそうとし、神様はこれを子供たちに伝えてくださろうとなさる霊的な大闘争が、数千年にわたって続けられてきました。そのような中で、神様が策を施され、この時代に御自らもう一度来られて真理を回復させてくださいました。

キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。 ヘブ9:28

二度目に臨まれる時は、〝霊〟と花嫁として来られると言われました(黙22:17)。「災いを受ける所へ行かずに、早く来て命の水を受けなさい」と〝霊〟と花嫁が全人類を呼んでいらっしゃいます。

命の水を下さる〝霊〟と花嫁のもとに、必ず進み出なければなりません。命は罪を持っていては得ることができず、罪の赦しを受けられなければ、地獄の災いから決して自由にはなれません。〝霊〟と花嫁の御もとに進み出た人々こそ、新しい契約の内で罪の赦しを受けて永遠の命と祝福と喜びを享受することができます。

世の中にはまだ、〝霊〟と花嫁の御声を聞くことができずに、さすらい、さ迷いながら自分でも知らずに滅亡への道を突き進んでいる人々がいます。神様は私たちを「新しい契約に仕える働き手」(二コリ3:6)にしてくださったので、彼らを正しい道に導いて救うために、さらに力を尽くし、新しい契約の真理によって永遠なる災いから免れさせてくださった〝霊〟と花嫁、私たちの神様を全世界に宣べ伝えてください。地獄の災いから私たちを救われ、永遠なる天国の道に導いてくださった天の父と母に、世々とこしえに誉れと栄光を帰し、感謝をおささげいたします。